イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

11月16日(月):ネロ その愚劣な生涯

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ローマでのキリスト教迫害はネロ帝の即位十年、紀元64年から始まった。エウゼビオスの教会史(2・25)には次のように記されている『記録を調べてみよ。ネロが東方全土を征服してから、ローマのすべての人に対して残酷な態度をとったときに、さらにキリスト教を迫害した最初の者であることがわかるであろう。そういう人間が我々に刑罰を加えた率先者として、我々の誇っている人間なのである。何故ならネロがいかなる人間であったかを知っている者は、偉大なものや善きもので、ネロに罰せられなかったいかなるものも、ほとんど存在しないことを知ることが出来るからである』・・・・・・・・・

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この画像は見る者の視点や心象によってさまざまな獣に

見える

ネロのキリスト教迫害は、明らかに暴君の恣意的な行為であった。彼は異常性格者で、誇大妄想狂であった。彼は一方狂気じみた人気への欲望から

竪琴をかき鳴らし、詩を吟じ、競技場で戦争を賭け、舞台では道化役を演じたまさに漫画であった。他方彼は自分の兄弟のブリタニクスを始め、母のアグリッピナ、オクタビア、とポッパイアの二人の妻、家庭教師でもあったセネカ、その他多くの政治家や武将を殺した。

ローマの大火・・

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紀元64年7月の真夜中、大円形競技場の端にあった木造建ての売店から火を発した。折からの風に煽られて7日7夜燃え続け、さらにマルスの原の近くに飛び火して、三日間燃え続け、ローマ市の大半が灰燼(かいじん)と化し、多数の焼死者と罹災者を出した。焼け残ったのは十四区のうち四区だけだった。神々の神殿、いくつかの記念館、王宮の一部、ギリシャの芸術品など、代え難い貴重品が皆焼失してしまった。

この火災のときネロはアンティウムの離宮にいたが、急遽ローマに帰って、精力的に罹災者の救済や市街の復興に努力した。もちろん自分の邸宅として壮麗な「黄金宮」を建てることは忘れなかった。大火の原因は不明である。それなのに、民衆の間にはネロが放火犯人であるという噂が拡がった。彼は燃えるトロイの詩を、ホーマーの向こうを張って竪琴に合わせて詠うために、放火させたのであり、またさらに復興した市街に、自分の名にちなんでネロポリスと名付けて、その名を後世に伝えんが為であったというのである。ネロはこの噂を消すために、罪なきクリスチャンに転嫁し、民衆をそそのかして、迫害を開始した。クリスチャンは次々と捕らえられた。歴史家タキトウスはその年代記には「放火罪もさることながら、人類社会に対する憎悪のゆえに、多くのクリスチャンが処刑されたている」(15・44)・・・・・・

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捕らえられたクリスチャンは、あるいは十字架にかけられ、あるいは斬首され、あるいは生き埋めにされ、縛られてテイベル川に流された。また、コロシアムで野獣の皮を着せられ狂犬に噛ませられ、ライオンと闘わせられた。夜ともなれば、今のバチカンの庭になっている場所は、油を注がれて松明(たいまつ)代わりに燃やされ競技場を照らした。・・・・・

この無惨な手口の迫害をもってしても、キリスト教の拡大を抑えることはできなかった。殉教の血の中から、次々と信者の数は増えていった。

一説によると、ネロの迫害を思いつかせたのは、淫蕩な彼の第二の妻ポッパイアであったと言われている。ネロはやがて、乱行の果て部下に背かれて、すべての人に見捨てられ、ガルバの反乱のとき、32歳の若さで自決し、その愚劣な生涯の幕を閉じた。・・・・・・

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現在のローマのコロシアムの場内中央座席の所に、大十字架が立っている。これは暴君ネロの迫害に耐え、信仰を守りぬいて従容と死におもむいたたくさんの無名のクリスチャンの勝利を記念して、十八世紀になって建てられたものという・・・・・・・

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今日は快晴、ちえこの通院日で朝から医師会病院へ行って来た。何やらかにやらで、午前中かかった。数種類の検査で、肝臓の数値が標準より三倍ほど高いが、前からだ。食事で炭水化物を減らすようにとのこと、早速今晩からお粥になった。丁度いい。私のダイエットも中々進まないので、当分お粥にする。いつまで続くかな?・・・・丁度福原さんから梅漬けを沢山いただいているので、・・・主のご配慮かな?・・・・・

11月15日(日):祈りの動力

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『イエスは答えて、言われた。「まことにあなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、動いて、海に入れ」と言っても、そのとおりになります。あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でもあたえられます」(マタイ福音書21章21~22節)

エスは祈りには躍動する力があると言われる。この言葉は正しく理解されなければならない。もし、人がこれを間違った理解をするならば、失望するしかないが、正しく理解すれば力を受けることが出来る。この言葉を通してイエスは二つのことを示される。それは祈りによって山を動かすことができるということと、信じて祈るいのりはこたえられる、ということである。この言葉は、文字通り受け取るべきではない。イエスご自身を含めて、今日まで祈りによって、本物の山を動かした者はいない。今日まで多くの人たちが、あることが起るように、また起きないように、あるいは何かを与えられるように、誰かが死なないように、熱烈に信仰をもって祈ってきたが、その祈りはその通りにはこたえられなかった。・・・・・

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ではイエスは、祈りを通して何が与えられると言うのであろうか。

Ⅰ・・祈りは働く能力を与える。

祈りは決して安易な逃げ道ではない。祈りは責任を神に押し付けて、神がしてくれるのを待つことではない。祈りは力である。祈りとは、神に何かをするように依頼することではなく、神の力を受けて、自分ですることが出来るように願うことである。祈りは安易な道を選ぶことではなく、困難な道を進む力を受けることである。・・・・・・

もし、祈る事によって神に何かをしてもらおうと期待するだけならば、その結果、我々の無気力、怠情、無能力な者になるから、祈りは我々を毒すると言わなければならない。我々は祈りによって力を受け、その力によって自分で努力するのである。そこで、祈る者は何もしないで待つのではなく、祈った後で立ち上がって働くのである。祈って働く者は新しい力を経験し、神には全てのことが可能であること、神と共にいますならば、不可能と思われることも可能となることを知らされる。・・・・・

Ⅱ・・祈りは受け入れる能力を与え、また受け入れることによって、変えていく能力を与える。

祈りは現実からの逃避ではなく、現実を受け入れてそれを変えていくものである。新約聖書には、この点に関して二つの範例を見ることが出来る。

一つはパウロの例である。かれは、肉体にある苦痛のとげが取り除かれるように祈ったが、その願いはかなえられなかった。しかし、彼はこのとげを受け入れ、弱さの中に働く完全な力と、すべてに満ち足りる神の恵みを体験した。そして、この力と恵みの中で、彼は現実を受け入れるばかりでなく、これを神の栄光に変えることが出来た(Ⅱコリ12:1~10)

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もう一つの例は、イエスご自身である。ゲッセマネにおいて、苦い杯を取り去られるように、また苦しい立場からは救いだされるようにと願ったが、その願いはかなえられなかった。しかし、その祈りの中で、イエスはその状態を受け入れ、その状態を変えることが出来た。何故なら、十字架の苦悩は復活の栄光への道だったからである。・・・・・・

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祈りは、我々を現実から逃避させるものではない。それを克服させるものである。祈りは困難を回避させるものではなく、勇敢に困難に立ち向かう力を与えるものである。祈りを逃避と考えている間は、当惑と失望だけを経験する。しかし、祈りを勝利の道、神の活力を受ける道と考える者は、

大きな変化を経験することが出来る。(ウイリアムバークレーによる解説より引用)

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11月14日(土):マルチン・ルターの生涯

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ルターは、プロテスタントを代表する宗教改革者として、世界中で最も名高い偉人の一人です。彼は1483年中部ドイツのアイスレーベンという小さな町に生まれました。ルターの家は先祖代々自由農民でしたが、父は貧しい炭鉱夫でした。両親は両方とも信仰篤く、彼は幼少よりきびしい躾を受けて育ちました。小学校を出たルターは、14歳になって家を離れ、勉学に進むために聖ゲオルク学校へ送られました。しかし、家が貧乏なので学費が足りないので、家々の門口に立ってまるで乞食のように、歌をうたって物乞いをして歩かなければなりませんでした。ところが、この町に信仰深い大家のウルスラ夫人が、ルターを認めて自分の家に迎え、勉学を続けさせるために保護をしてくれたのでした。その後、18歳でエルフルト大学に入学し、よく学問に励みましたので、翌年には哲学士となることが出来ました。

落雷事件・・

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大学でのルターは品行方正で、その上よく勉強しましたので、両親も周りの人々彼の将来に大いに期待していました。そんなルターでしたが、心に少しも平安がなく、神はどんな小さな罪も見逃さずに、審かれる恐ろしい方としか思うことが出来ませんでした。彼が21歳になった年のある日、休暇が終わって帰校の途中ある村の付近に来た時、激しい雷雨に襲われました。天に轟く雷鳴は一緒に歩いていた友人を直撃し、自分もそのショックで大地に投げつけられるという事件にあいました。この時の体験は、彼の進む道を大きく変えてしまったのでした。前途有望であったこの世の成功の道を捨て、父の反対をも退けて修道士の道へと進みました。

平安を求めて・・こうして彼は、アウグスティヌス修道院へ入って、どんな難行苦行もいとわずに、心の平安を得ようと必死に精進をしましたが、かえってますます罪の意識が深まるばかりでした。・・・・・

1510年に修道院の用事があって、ローマに赴きました。そこで多くの人がしていたように聖人と言われた人の遺物を拝んだり、サンピエトロ広場の石段を膝でのぼったりして、自分の救いのために巡礼のように歩き回りましたが、唯々失望して帰る結果となりました。しかし、その後シュタビッツという優れた先生から、本当に救われる道は、罪を審き地獄へ投げ入れる神に目を留めるのではなく、キリストの十字架に現わされた神の愛に目を留めるべきであることを教えられ、初めて罪の赦しと心の平安を体験しました。・・・・・・

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改革ののろし・・ルターはシュタウビッツにはげまされ、26歳で神学博士になり、大学教授として、聖書の講義を始めました。そこで彼の名は次第に人の知るところとなり、多くの学生が集まりました。ところがここに大問題が起こる事となりました。それはその頃、地上における教会の最高権力者として、ローマ法王が支配していたのです。聖書の真理から逸脱して、その堕落した有様はその極みに達していました。法王レオ十世は、「免罪符」というお札を売らせ、これを買った人がお金を箱の中に入れて、チャリンと音がした瞬間に、どんな罪でも許されると宣伝したのです。イエス尊い血による罪の赦しを、お金儲けのために悪用することは恐ろしい事ですから、ルターはこれに反対して、1517年10月31日「九十五ケ条の論題」と書いた紙を貼りだしました。これが有名な宗教改革のための、のろしともなったのです。それで今日プロテスタント教会ではこの日を宗教改革記念日と定めているのです。・・・・・

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我ここに立つ・・ルターが法王に反対したということが、世界中の人々に伝わりましたので、法王も黙っているわけにはいきません。ウォルムス

の会議場にルターを喚問して、反論を取り消す様に迫りました。もしそれに従わなければどんな迫害を受けるかわかりませんが、彼は正しいと信じたことを取り消すことをしませんでした。彼は居並ぶ人たちの前でこう言いました。「私の言ったことは、聖書に書かれた真実であるから決して取り消すことはありません。また良心に背く偽りも言えない。神よ、私はここに立っています。私を助け給え。アーメン」・・・・・・

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宗教改革断行・・命の危険が迫ったルターをザクセンのフリードリヒ賢公が密かに手を打って、ブアルトブルグ城にかくまってくれました。一年後にルターはそこを出て同志と共に目覚ましい教会の改革を行いました。

その中心的なことは、第一に信仰のみ、第二に聖書のみ、第三に、万人祭司、ということでした。こうして腐敗し、堕落したカトリック教会から、聖書の真理に土台を置くプロテスタント教会が誕生し、この新しい息吹は

多くの国々を目覚めさせていきました。・・・・

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ルターの代表的な働きの一つに、原典からのドイツ語訳聖書の翻訳と発行があります。彼の勇気ある戦いは、今日私たちが自由に聖書を読み、また行いによらず神の恵みによってのみ救われるという信仰に立たせることになりました。戦い抜いた彼は、1546年2月、生まれ故郷でその生涯を閉じました。

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 穂ちゃん、あなたにカトリックプロテスタントの違いを教えていなかったね。これを読むとおおよそのことがわかると思います。・・・・・

11月13日(金):初めに、神が天と地を創造した

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ある人が、宇宙儀の模型を持っていた。太陽があって、その周りを地球が回り、地球の周りを月が回る、と言うような構造のもので、可動式になっているのがご自慢で、悦に入っていた。ある日、友人が訪ねてきて、その見事な出来栄えに驚きながら言った。「これ、すごいね誰が造ったの」。

「誰が造ったわけじゃないんだ。自然に出来ちゃったんだ」。

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「冗談はやめてくれ、こんな精工な物が誰かが造らなければできる訳がない」「ヘェーイ~。だって君たち無神論者は、この宇宙は皆自然に出来たといっているじゃないか。こんな玩具のようなものでも、誰かが造らなければ出来ないと知っているのに、天と地は、神が造られたと言っても信じない。おかしくないかい。一分一秒も違いもなく運行されている、この地球は神が造り、神が動かしているんだよ。こんな精巧な宇宙儀は絶対には自然には出来っこないよ。何億年経とうとも・・・・・」

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     ☆          ☆          ☆

真実に満ちた創造主についての聖書の最初の証言は、その単純さのゆえにかえって荘厳さをうかがわせる。そこには神の定義とか、創造に関する説明とか、年代の宣言と言うものがない。これは神の『宣言』であり、完結しており、異論のさし挟む余地はない。全ての信仰の「基」(もとい)はここに始まりここに戻ってくる。人間が提出したすべての誤った「考え」がこの一語によって否定される。

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「初めに、神が」:これは多くの神々の存在を説く多神論を否定する。

「初めに、神が・・創造した」:これは偶然を教理とする運命論を否定。

「初めに、神が・・創造した」これは無限の変化、生成という教理を持つ進化論の否定である。

「神が天と地を創造した」:これは神と宇宙を同一視する汎神論の否定である。

「神が天と地を創造した」:これは、物質の永遠性を主張する唯物主義の否定である。

このように最初の主の証言は、神聖な真理の宣言であるばかりでなく、人間的誤りの否認ともなっている。

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我々は、天を仰いで神の偉大さを知り、地の草花を見て、神の愛を知る。

11月12日(木):悪魔の神学校

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悪魔の神学校で、この春卒業予定の学生に課題が与えられた。『いかに人間を誘惑し、滅ぼすかその計画を述べよ』と言うものであった。

第一の学生が言った「私は、人間に神はいないと言います」と答えた。すると教授は「ダメ、ダメ、そんなことでは人を騙すことは出来ない。神がいることは、みな知っているのだから」・・・・・

第二の学生は、「私は地獄はないと言うつもりです」と答えた。

すると教授は言った「ダメ、ダメ、そんなことで騙される人は一人もいない。人間は、罪に対して地獄があることを、今でも知っている」・・・・

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第三の学生が言った。「私は急ぐ必要はないと言いましょう」すると教授は言った「よろしい、行きなさい。お前はたくさんの人たちを堕落させることが出来る」・・・・・

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      ☆      ☆        ☆

時間が十分あると思うことは、すべての錯覚の中で最も危険である。明日に依存するのは非常に危険である。翌日まで待てない事柄があるではないか。自分に明日があることを、誰が保証できるだろうか。不幸の原因となるものはまだ時間があるという油断である・・・

ダビデは偉大な王であった。その偉大さの根源を思うとき、私はいつも、あの事件を思い出す。それは、Ⅱサムエル12章に記されている。バテシバとの不義の子が預言者ナタンによって、死を宣告されたとき、ダビデ

その子のために神に願い求め、断食をして一晩中地に伏していた。長老たちは引き起こそうとしたが、ダビデは起きようともせず、食事もとろうとしなかった。7日目に子供は死んだ。ダビデはまわりの様子から、子が死んだことを悟った。「子供は死んだのか」彼らは答えた「亡くなられました」。するとダビデは地から起き上がり、回りに居た者たちは皆一様に驚いた。ダビデは言った。「子供がまだ生きているいる時に断食をして泣いたのは、もしかして、主が私を憐れみ、子供を生きるかも知れないと思ったからだ。しかし今、子供が死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか。私はあの子のところへ行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない」・・・

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失われた「時」と「子供」をダビデは明日迄引きずるようなことはしなかった。もうしばらく悲しませてくれとは、ダビデは考えなかった。そのところが常人と異なっていた。少なくとも我々凡人には出来ないことなのかもしれない。「まだ、時間があるよ」と考え始めると、人はやがてサタンに足をすくわれる。偉大なこと為す人はそうした決断力を持っているようだ。・・・・決断すべき時にまだ明日があるよと考えるべきではない。

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お昼頃、福原さんがいっぱい食べ物を持って訪ねて来てくれた。歩いて来てくれたという。リュックを背負い、両手に荷物を持って、3時間以上歩いて来たのだろうと思うと、ついつい涙腺が緩む。・・・・・

先ほど、竹内先生、弘子奥様から、すばらしい贈り物が届いた。陶器に金の縁取りをした綺麗な飾り品で、早速ちえ子が、講壇へ飾った。感謝!。

昔、碧南にいた時、「瀬戸物」とは、瀬戸内海で造られているものと思っていたが、愛知県の瀬戸市だと聞いてびっくりしたものだった。・・・

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11月11日(水):イエスとユダの顔

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最後の晩餐の絵を描いていた一人の画家の経験について、おそろしい話がある。それは偉大な絵であり、それを描くのに何年もかかった。彼はキリストの顔を描くのに、モデルを探しに行った。非凡な美しさと純粋さを秘めた顔の若者を発見し、彼をイエスとして描いた。次第に、絵は描かれていき、次から次へと弟子たちが描かれていった。いよいよユダのモデルが必要な日がきた。彼は町の貧民街や悪に汚れた部屋を探し回った。そして遂に彼は、非常に堕落し悪意に満ちた顔をした男を見つけた。そしてその男をユダの顔のモデルにするために連れてきた。描き終わると、その男は画家に言った。「お前はたしか、前に俺を描いたことがあったよ」と言った。「そんなことがあるはずがないよ」と画家は言った。「いや、ほんとなんだ」とその男は言い続けた。「前にお前が俺を描いた時には、たしか俺はキリストだったぜ」・・・・・・

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歳月はおそるべき堕落をもたらしたのだ。人生には、いつもおそろしい危険がある。歳月は残酷になり得る。歳月は私たちの理想、熱意、夢、忠誠を取り去ることができる。歳月は、私たちに、だんだん大きくではなく、だんだん小さくなってしまう人生を残していくのである。歳月が過ぎ、私たちの心がキリストの愛によって広げられる代わりに、ひからびてしまうのである。人生においては、かつては美しかったものが失われてしまうことがある。神よ、このようなことから、我らを救いだしたまえ・・・・

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昔、こんな話を読んだことがある。最後の晩餐をの絵を、ローマ教皇から描くように頼まれていた、レオナルド・ダビンチがなかなかその絵を完成させないので、時の教皇が、早く仕上げるように苦情を言ったら、彼はそんなに急がせるんだったら、ユダの顔をあなたに似せて描くぞと、やり返したと言う逸話が伝わっている。この人も、キリストの顔とユダの顔を描くのに難儀をしたのだろう。絵の素養のないものであるが、何となく判るような気のする話である。

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昨日から、ちえこが焼肉を食べたい、焼き肉を食べたいとハナをならしていた。10日ばかり前からおなかをこわし、おかゆだけだったのだが、治ったら俄然食欲が出てきたらしい。私はダイエット中、本当は行きたくなかったが、出かけてきた。あれ、聖書のアダムとエバの話って本当だなとつくづく思った。ツキさんとチカちゃんのところへも寄って来た。二人とも特段変わった様子もなくて安堵した。姉さんの方が余計心配なのだが、委ねよう・・・・

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