60年ほど前、私が高校生の頃だった。義兄が鉱山に務めていて、坑内を見せてくれた。今の時代なら規制が厳しくて、高校生が坑内に入るなんて考えられなかった事だったが、何事も緩やかな時代であったように思う。その時、あいつがそうだと言われている男だと教えられた。
食う一等(勲一等) 飲む大臣(農務大臣) 木村だんじゃく(男爵)
註:だんじゃく(この地方の方言で、横柄、横着者を意味する)。その木村男爵の面体ををしかと見届けなかったが普通の男であったように記憶している。今の時代皆人間が小粒になったのか、かくも立派な尊称を持ち、揶揄される人も少なくなった。それにつけても、木村と言う男は、坑道の切羽で働く男たちの面目躍如たるものがある。
切羽。切端とも書くが、坑内の最先端で鉱石を掘削するところである。ヤマの男たちの戦場、いくさ場である。その頃は日本各地の鉱山で、よく落盤事故があり、幾人もの鉱夫たちが命を落とした。いわゆる、命がけの仕事でもあった。高校生の自分には、そんな過酷な現場を見ることが出来たのは、衝撃的であった。・・・最近の話だが、相撲の横綱審議委員に、古舘某と言う女性の人がいる、作家で、秋田の出身なのだが、この人が、「女性にも、土俵にあげろ」と言って、大人たちを困惑させた。要するに、優勝の授与式に、女性が立ち合ってもいいのではないかということらしいが、相撲協会が困惑したのも当然である。土俵というものが神聖なものであるかどうか、判断しかねるが、女性がそこに入っていいか判断の別れるところである。そこは、男たちのいくさばであり、あの、高校生の時に見た、切羽同様、過酷な男たちにいくさ場である。感覚的に女性が立ち入ることの出来ない場所であるように、私は感じていた。・・・・・昔、商社勤めをしていた頃、東北自動車道のトンネル工事に関わった事がある。現場との打ち合わせのため、切羽まで行った。そこはやはり女人禁制であった。だが、その昔、女人禁制の切羽に、女性たちがいたことがある。キリシタンである。九州地方からであろうか、はたまた、気まぐれな伊達政宗の犠牲になった者たちなのか逃げのびて、逃げ延びて、尾去沢銅山にたどりついた。モーセも逃れの町をつくった。鉱山はどこでも、不文律として、治外法権である。ひとたびそこに匿われると、何人たりとも、誰も、手出しは出来ない。迫害を逃れた切支丹たちは、キリシタンの夫婦は銅山へ逃げ込んだ。坑内の奥底で、わずかな燈心が消えればそこは、漆黒の闇である。その坑道に十字架を刻んだ。自分たちの骨身も刻んで生きた。あの、地獄の底のような切羽に、主イエスの恩寵があったのか!!!。