イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

4月24日(金):屋下に屋を架す

f:id:dotadotayocchan:20200412222836j:plain


屋下に屋を架す・(屋上屋を架す):屋根の下にさらに屋根をつくる。(屋根の上に屋根をつくる)無駄なことをするたとえ。

「この人は書くことがすきなようで・・・」と「よく書きますね」とあきれている人たちに、ちえ子がいつもそんな風に答えている。そんな時、決まって「花森安治」の言葉を思い出す。

「暮らしの手帖」の初代編集長で、この雑誌の執筆をほとんど一人で手掛けた。「書くことが好きなんですね」とよく人に言われるという。ご本人は書くことが好きなわけではないし、書かなければならないから書いているのだと、言ってもなかなか理解してもらえないようであった。これらのの事を「曽野綾子」風に表現するならば、「それならば、おやめになったら・・・よろしいのに」ということになるのかも知れないが、そうもいかないところが面白いのである。・・・・

そういえば、国鉄の時代であったか、JRになってからであったか忘れたが、花森が新幹線に噛みついたことがあった。暴走族が社会問題化していた時代であった。「新幹線こそ沿線住民に騒音をまき散らしている最大の暴走族である」と言いだしたのである。暴走族呼ばわりされた当局は、ムキになって反論した。「日本の輸送力増強に貢献している。暴走族よばわりは片腹痛い」という論法であった。どこかのジャーナリストが花森に加勢した。輸送力UPという錦の御旗を立てても「公害」をまき散らしていては「暴走族」と変わらないと。・・・・このことがどちらかに軍配が上がったかは俄かに判じがたい。しかしながら、新幹線の車両が騒音の少ない車両に改良されていった事は事実であり、住宅隣接地域には防音壁が設置されるようになった。おらが始めたこの小さなブログも、「屋上に屋を架す」ことにならぬように、花森の万分の一ほどにも、キラリと光るものがあればいいのだが・・・のぞみは速く・・・じゃなく高く。・・・・・

そういえば、「キリストにならいて」という本を書いたトマス・ケンピスがその著書の中にこう記している。「著者の権威や学問の多少を気にかけず、・・・読むがよろしい。誰がそういったかを尋ねずに、何がその書のうちに言われているか、その内容に注意すべきだ」・・・う~ん・・・

f:id:dotadotayocchan:20200409194405j:plain

f:id:dotadotayocchan:20200425112702j:plain