イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

5月17日(日):悲しみは笑いにまさる

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悲しみは笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良なるからである。・(伝道の書7章3節)・・・・・・・・

毎朝、4時に榎本師の一日一章を開く、無作為に開きそこに記されているみ言葉が、その日の私の霊的な糧である。今朝はこのみ言葉だった。意味合いの深いことばである。榎本師の解説によれば、心は良くなるとは、「思慮を増す」との意味だそうである。悲しみをくぐり抜けて来た人は思慮深く、知恵も増すのであろう。私たちは天地万物を造られた神を信じていても、

この世の不条理から逃れることはできない。だからこそ、神を求めるのである。笑ってばかりいる人たちは、けして神を求めることはしない。40年ほど前に、中国の宣教者に会ったことがある。中国での迫害のあったころである。「中国での伝道は目をみはるものがありますね」と言うと。彼女は答えて言った。「中国は貧しくて、彼らの救いは十字架以外にないのです。それに比べ、あなたたちは、何不自由なく暮らしているのに、そのあなたたちの方が、信仰を持っていることはもっと素晴らしいことです」・・・・・深く考えさせられる指摘であった。

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今日から礼拝を再開した。「歴戦の強者」たちは心強い。彼らも世間的には悲しみと苦難を乗り越えて来た人たちである。臆病な牧師を促して、礼拝を始めた。「親友、心友、信友」は有難い。歯医者さん、薬剤師さん、施設の介護者、の人達は、他に迷惑がかかると、お休み。これはいたしかたない。玄関先にお花をおいて行った。

これもまた感謝。主の守りがあるように・・・・・

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 今日午後、祐二と嫁さんが来て、アルを見て行った。私たちが先に死んだら、アルの飼育後継者なのと、しばらくぶりなので、挨拶がてらきてくれた。真っ黒な顔して、頑張っているようで、安心した。それにしても、なんとなく老けを覚えた。