イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

5月28日(木):母の思い出

今年の夏は暑い 岐阜の夏がやってきた。

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生前、母がよく言っていた。「まったく、岐阜の夏は日本一暑い。どうしようもないね!」と。岐阜生まれの岐阜育ちの私には、そんな母の苦しみはすべて理解することはできなかった。

『夏とは、こんなものだと』という感覚があったからだ。しかし、日本本州の最北の地、青森出身の母にとっては、一生涯逃れることの出来ない苦しみだったのだと、今さらながらしみじみおもう。・・・不機嫌な母の横顔を見て、天候のことだからどうしようもないと分りつつ、何とか母の機嫌が直らないかと、私は内心気を使っていた。しかし、そんな私の心配をよそに、母の暑さに対するイラ立ちは容易に回復することはなく、何となく夏は物悲しい気持ちに沈んだものだった。・・・・

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しかし、こんな母がふいに上機嫌になるときがあった。理由はさっぱりわからない。ただ、部屋をほうきで掃きながら、何かの拍子に突然歌いだすのだった。ほとんど100%、聖歌や賛美歌、教会関係の歌である。それも小声で適当にではない。独特の澄んだ高い声で、きっちりと最初から最後まで歌うのである。歌詞をかみしめるように、首を少し揺らしながら、心から楽しそうに歌うのだった。・・・母の歌声が家に響くと、家中が一気におだやかな空気に包まれたものだった。気のせいか暑さも消え、側にいる家族皆が耳を澄ませてその歌を聞いていたようだった。私はそんな母の歌声が止むと、「あ、もう終わりか」と、無意識にもがっかりしたものだった。・・・・・・

こんな風に、岐阜の夏は暑くて辛い季節だったからこそ、その中に響く母の歌声は何にも代えがたい、生活の潤いだった。

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・・・2006年3月、天に召される直前まで、母は長浜の病室で、本当によく歌った。あの頃と変わらない歌声で。そして同じように、一曲一曲、だれに聞かせるわけででもなく、窓の外を見つめて、おだやかな顔で、一曲一曲、きちんと歌うのだった。一つ終わると、またひとつ・・・その姿は、まるで小さなコンサートのようだった。観客は私ひとり。私はそんな母の歌声を聞けることの幸せを、小さな病室でじっと感じていた。

・・・この詩はそんな母を思って書いてみた。実はニュウーヨークリハビリテーションセンターの壁に書かれた「患者の詩」

という有名な詩に少し手を加えたものである。人生の最期を病気と戦い、しかし、幸福に包まれて賛美しながら召された母を

少しでも感じていただければ幸いです。・・・・・・・・

『小鳥の歌』

人々を神に導くために 伝道者の足を求めたのに

台所で口ずさむ 賛美の声を いただいた

 

もっと訪問伝道したくて 時間を求めたのに

子どもたちを養うために

料理 洗濯 縫物をする手を 授かった

 

幸せになりたくて 人並な生活を求めたのに

与えられたもので工夫する知恵を 授かった

 

☆川村江弥 岐阜キリスト教会 前牧師次女 内山のぞみ☆

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・・・・・人生の終焉・・・・・(患者の詩)

神の働きのために 健康を求めたのに

人々のために祈るようにと

病床の日々を 授かった

 

いつか故郷で暮らしたいと

なつかしい山里を夢に描いていたのに

身近な人々の あたたかな思いやりを 授かった

 

求めたものは一つも手にしなかったが

願いはすべて聞き届けられた

 

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず

神は私の心をつくりかえ

私が最も必要としていた

愛で満ち足りた人生をくださった

 

私は神から 小さな翼をいただいて 天にはばたきます

この世のあらゆる思いわずらいを捨てて

自由で光に満ちた 神の住まいに まっすぐに 旅立ちます

 

そして私は 声高らかに賛美します

私の人生は あらゆる人々の中で

最も豊かに祝福されていましたと

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