孔子様について知っていることは、中学の教科書に書かれている程度。そして、井上 靖の小説を一冊読んだきりである。少し読み直してみようかと思ったが、化粧箱だけで肝心の中身がない。うろ覚えのことが多いとおもうが、許してたもれ!
日本文化の中に、仏教文化と儒教の教えとが混在している。よほどの物知りさんでなければ、その違いがわからない。・・・
と、日本古来の「八百万」(やおよろず)の神などをほとんど
「三位一体的」にごちゃまぜにして、キリスト教の信徒になっている者が少なくないということである。・・・・・・・・
この孔子の略歴と、教えについて簡単におさらいしておくことは、ある程度必要なのだろうとおもう。ただし、この人については世に大家と言われる人が少なくないので、恥を書かない様に高校の教科書程度と言うことにしておきましょう。
孔子: 子とは先生という尊称を表す。フルネームとしては。
孔 丘 :(BC551~479)(73歳)
聖書の世界ではおおよそ、ペルシャにクロス王が興りバビロン捕囚からエルサレムに帰還が始まった時代にあたり、中国では
春秋の時代にあたる。・・・主張と功績・・・
孔子はそれまでのシャーマニズムのような原始儒教を体系化し、一つの道徳、思想に昇華させた。その根本義は「仁」で
あり、仁が様々な場面において貫徹されることによって、道徳が保たれると説いた。しかし、その根底には中国伝統の祖先崇拝があるため、儒教は仁という人道の側面と礼という家父長制を軸とした身分制度の双方をもつに至った。・・・・・・
孔子は自らの思想を国政の場で実践することを望んだが、ほとんどその機会には恵まれなかった。ともすると孔子の意見は、
時の支配者に受け入れられなくなり、晩年はその都度失望して支配者のもとを去ることの繰り返しであった。最愛の弟子、顔回は師の言葉通り、赤貧を貫いて死に、子路は謀反に巻き込まれ惨殺されたりした。孔子の晩年は悲惨で、不遇の末路を迎えた。孔子の死後、孟子、荀子という後継者を出したが、戦国から漢初期にかけてあまり勢力は振わなかった。論語は、孔子が弟子たちに教えたことの語録である。孔子の人生の大部分は
無冠の一学者に過ぎなかった。しかし、漢(前漢)の史家、
司馬 遷が『史記』で、その功績は王に値すると評価した。そのことがあって、この孔子の教えは、即ち「儒教」は中国において「国教化」され、中国思想の根幹たる存在になった。
孔子の教えは、その多くはイエスの言葉と重なることは確かであるが、しかし、それはあくまでも、形而下の事柄である。
いわゆる、この世の出来事を扱っており、天的な思想が含まれていない。我々の想いは、先に川村牧師が語る様に、天を目指すものであり、孔子の想いと交わることはない。
遠藤周作は、イエスは神の国を宣べ伝えたが、弟子たちはイエスを宣べ伝えたとどこかで書いていた。遠藤周作にも弟子たちにも間違いはない。イエスこそ、神の国だからである。
『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです』と語れる
者はイエス以外にいない。道や真理は、孔子や哲学者も語れる。しかし、いのちまでは誰も語れない。