イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

6月6日(土):三河の殿

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碧南市。愛知県岡崎市の隣町、旧三河の国で徳川家康の領地であった所である。深瀬牧師はそこの教会から秋田県八郎潟教会に赴任された。私たちは碧南市で仕事をしていたが、同じ日に秋田へ向かった。碧南の教会では、二月ほど礼拝に出させていただいていた。奇妙なめぐりあわせでもあった。・・・・

私たちは大館市ルーテル教会に所属していたが、温暖な地からわざわざ秋田の地へ赴任された牧師を気遣って、月に1~2度八郎潟の教会の礼拝に出席することにした。大館教会の牧師には事情を話し、許可をいただいた。・・・・・

そんなわけで、八郎潟の教会の礼拝に出る時には、「次週は、三河の殿に拝謁に出かける」というのである。割と頑固なところもあって、どことなく、殿様風の雰囲気があるので、我が家では牧師のことを、「三河の殿」と呼んでいた。さしずめ、三浦儀之介は、殿のお馬廻り役でもあった。

☆・・・「あぁ、三浦さん祈っておりました」と。私たちが出掛けると。そう言われるのである。今週あたり来ないかなと、

心待ちにされていると、嬉しくなった。もともと、体が丈夫な方ではなく、心臓に疾患を抱えていた。・・・・・・・

先生が入院されてそのお見舞いに伺うとき、ちえ子が自分の畑で収穫したスイカを持っていくと言い出してきかない。牧師館に立ち寄って恐るおそる、スイカを持って来たんです

けど・・・というと。奥様が「あららら・・・今朝主人から電話があって、スイカを食べたいから持って来るように言われていたんです」とのことであった。スイカなんか持って行ってどうするんだ、と言っていた私の前で、ちえ子は得意満面・・・

先生が退院された時、まだお辛そうだった。心臓の大手術で無理もないことであった。さすが、元看護婦である。大館市の家具店をまわって、手頃(安価)なリクライニング式の椅子を探し出して、さっそくその質素な椅子を軽トラックに載せて、出掛けると、奥様がそれを見て、「あららら・・・うちでも何か楽に座れる椅子を買いに行こうかと、相談してたところだったんです」。と。またまたちえ子は得意満面であった。・・・・

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先生には、余計な心配をかけまいと、ちえ子の姉が亡くなった事は伏せておいたのだが、突然電話があって、事情を話さざるを得なくなった。間もなく、大きな花束を抱え、訪ねて下さりお祈りと、慰めをいただいた。筆まめな方で、数えたら、10年間で70通もの、はがきを頂いていた。人とのめぐり合いとは尊いものである。この4月に、福島におられる先生に、いや、今度は「会津の殿」に拝謁に伺う予定だったが、コロナで

行かれなかった。もう少し待とう・・・・

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