イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

6月10日(水):キリストにならい

   

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     第1巻  霊的生活に役立つすすめ

          ・・・・第1章・・・・

キリストにならい、世の空しいものを すべて軽んずべきこと

1 私にしたがう人は闇の中を歩まない(ヨハネ8の12)と

主はいわれる。これはキリストの言葉だが、もし私たちがほんとうに愚かさを捨て、心の闇をすっかり去って開放を望むなら、あの方の生涯や行いにならえと、すすめるものである。それゆえ、私たちがなによりも努むべきは、イエス・キリストの生涯について深く考えることである。

2 キリストの教えは、聖人たちのあるゆる教えにもまさっている。その精神を学びえた人は、そのなかにかくれている霊の食物(マナ)をみつけるだろう。けれども時には、キリストの精神をなおまだ呑みこんでいないために、たびたび福音をきいてはいるが、あまり心を動かされぬといことがよくある。それゆえキリストの言葉を十分に理解し味わいたいとおもう者は、

あの方の全生涯に身を従えるよう努めねばならない。

3 高遠な三位一体の論争があなたにとって何の益になろうか、もし謙遜を欠くとしたらば、それはつまり三位一体にも不愉快と感じられようから。まことに、深遠な言葉が聖人や義人をつくるのではなく、徳のある生活が神に愛される人をつくるのである。私は痛悔の定義を知るより、それを感じる方をえらぶ。たとえうわべだけで聖書のすべてを知り、あらあゆる哲学者の説を知るとしても、神の恵みと愛が無かったならば、そのすべてになんの益があろうか。神を愛し、神だけに仕えること以外は、空の空、すべては空である(伝道1の3)。この世を軽んじて天国に向かうこと、これが最高の知恵である。

4 したがって、はかない富をもとめ、それに望みをかけるのは、空しいことである。眼の前にある生にだけ気をつかって、また、名誉をこころがけ、高い地位にのぼろうとするも、空しいことである。長生きを願いながら、よい生にあまり気をくばらないのは、空しいことである。眼の前にある生にだけ気を

つかって、いまに来るはずのことに備えないのは、空しいことである。いとすみやかに過ぎ去るものに愛着して、永遠のよろこびのつづく所へいそがないのは、空しいことである。

5 眼は見るものに満足せず、耳はきくものにみたされない

(伝道1の8)というあの格言をしばしば思い出すがいい。

されば、あなたの心を見るものへの愛着から引きはなし、見えないものへ移すようにつとめなさい。なぜなら、自分の官能の欲にしたがう人は、良心をけがし、神の恵みを失うからである。

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何時もイミタチ、イミタチとうるさく書くが、本文を紹介しないのは著者(トマス・ア・ケンピス)に失礼なので、1章のみ書き記しました。既にこの書を、お読みの方もおられると思いますが、1章はこの書の総まとめみたいなもので、あまり、読書が好きでない方には、たぶん、これだけで十分だと思います。平易な文章ですが、じっくりお読みいただければ、内容の深さをお分かりいただけるもの信じます。

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今日は私の通院日、三月に一度,朝6時に出て2時までかかる。甲状腺の具合が悪い、ホルモンが分泌されていないとかで、少し厄介。それに、薬を飲むのをサボっているので、改善しない。先生は不思議そうに、頭を傾げているので、私も一緒に困った風にしている。皆さんはこんなことではだめですよ!。お医者さんと牧師の言うことはきちんと守りましょう。

(獣医は除く)・・・・コダワッテイルナ~・・・・

獣医の仕業は「6月5日」で書いてある、ご覧あれ!。