岩手県北部、石川啄木の故郷の近く七時雨(ななしぐれ)山に源を発し、岩手県の中央部を潤して南下し太平洋追波湾に注ぐ、250キロメートルに及ぶ県をを代表する河川である。それだけに折に触れ詩歌に謳われている。
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やわらかに 柳あをめる 北上の
岸辺目に見ゆ 泣けと如くに 《啄木》
・・・北上夜曲・・・
♫ ♫ ♫
匂い優しい 白百合の
濡れているよな あの瞳
想いだすのは 想いだすのは
北上河原の 月の夜
昭和、戦後のヒット歌謡である。久しぶりにこの抒情歌を思い出す。そういえば、松尾芭蕉にも一句ある。
《夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡》
奥の細道で、この俳人は藤原三代、奥州平泉で栄華をを極めた武家たちの栄枯盛衰に、北上川を見下ろす地で(義経最期の地)で、この一句におもいをはせた。・・・・・・・・
イエスは彼らに言われた。「もしあなた方が盲目であったなら、あなた方に罪はなかったでしょう。しかし、あなた方は今
「私たちは目が見える」と言っています。あなた方の罪は残るのです」ヨハネの福音書9章41節。・・・・・・・
私が、もう40年近くも立ち寄っている、洋食屋さんに、「魚には河は見えない」と書かれた、(吉川英治)の額がある。
北上川に生息する魚たちに、啄木が歌ったように山村を流れる美しい、小川の風景は見えてこない。夕暮れが迫っても、川面にむせび泣くような抒情夜曲は聞こえてはこない。まして、300年前、芭蕉の足音も聞いていないし、その昔、兵どもが夢を追い求めて相争った騒乱も魚たちには無縁のことであった。
・・・・イエスというお方は実に優しい方である。北上川に棲むお魚さんには、「それでいい」と言われるのです。大丈夫ですよと言われる。一方では、「見える」と言い張っているパリサイ人たちには、厳しいお言葉を残しておられる。「あなたがたの罪は残るのです」・・・・・
イエス様は、その目を開けてやった人がパリサイ人から追放されたと聞いて、その人をわざわざ探し出して、もう一度ご自身を示された。主イエスが最もお嫌いになるのは、人の心の「頑迷」さである。罪が残らないように、主の御前に北上川の青き
柳のように、こころたおやかな信仰者になりたいものである。