イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

6月22日(月):パウロの回心

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サウロの一行が、道を進んで行って、ダマスコの近くまできたとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は倒れた。

    サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか

       主よ。あなたはどなたですか

   わたしは、あなたが迫害しているイエスである

同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から立ち上がった

が、目は開いても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いてダマスコへ連れていった。(使徒の働き9章)・・・

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サウロ、(ローマ名パウロ)もまた復活のイエス様にお会いした一人である。しかし、つきつめてみると、その出会いの瞬間

はたったこれだけである。イエス様はただご自分のお名前を名のっただけである。『わたしはナザレのイエスである』これがパウロにとって、全てであった。この後、御霊に導かれたであろう。幻で示されたこともあろう。先輩信徒から教えを受けたことでもあろう。しかし、パウロの信仰の原点は常にこのイエスの一言に尽きる。

    ・・・わたしは、ナザレのイエスである・・・

ダマスコ途上において、パウロの耳に、響いた主のお声を、彼は生涯忘れはしなかったであろう。それこそが、キリストに連なる者であり、内なるキリストをいただく者であるようにおもう。

   

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    ・・・・・・誰であれ・・・・・・

その心のうちに、イエスのみ声を響かせていないものは、

    ・・・キリスト者とは言わない。・・・

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