イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

7月1日(水):いとなみはとぎれたままに

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早熟の英才がたいていそうであるように、パスカルも生まれつき体が弱かった。それが、科学の研究や発明に没頭したりで、いっそう悪化し、20代半ばころには、普通の業務に耐えられないほどになっていた。そこで、医師の勧告もありパスカルは気晴らしのため、社交界に出入りするようになった。そこで彼は人間というものを見た。理性一点張りの青年科学者と、人間を見つめた稀有の天才が結合したのである。・・・・・・

しかし、パスカルの魂は、社交界に長く踏みとどまることが出来なかった。科学者の時代、社交界の時代、そして、第三の世界、信仰と、愛の世界へと飛躍するのである。・・・・・・

ついにきたるべきものがきた。1654年11月23日夜

主は、ブレーズ・パスカルに「決定的回心」を求めた。

   『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』

   ・・・歓喜歓喜歓喜歓喜の涙・・・

彼自身のこの時の手記が、的確にこの時の経験内容を物語っている。日本基督教団 中野教会の牧師でもあった、瞑想録の訳者、由木 康師はこのあたりを、注意深く書いている。

パスカルはこのときイエス・キリストと完全に結びつくことによって、天来の霊火を受けたのである。これは漠然とした神秘的経験ではなく、まったくキリスト教的な、しかも、純粋に聖書的、福音的回心であった』と。

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この回心の後、彼は世間から離れポール・ロワイヤルの修道院へ客員として、入院し、隠士たちと起居をともにし、断食、祈祷に加わりひたすら信仰の修練につとめた。その間に、「聖なるいばらの奇跡が起こり、パスカルに大きな影響を与えた。

やがて、パスカルのうちに、不信者を回心させるために、「キリスト教弁証論」の構想が育まれた。彼はそのための、メモ書きをもっていた。それを知る人たちは、どんな素晴らしい、「キリスト教弁証論が」書き上がるか、おおいなる期待をもって見守っていた。・・・・・・・

しかし、主はその「いとなみ」(計画)を閉ざした。

ポール・ロワイヤルの友人たちに遺されたのは、メモ書きのみであった。主は、パスカルが弁証論を書き始める前に、彼を召された。ポワイヤルの友人たちは、そのメモ書きをまとめ上げ

初版に「いとなみはとぎれたままに」と記し、瞑想録(パンセ)として、上梓した。・・・・・

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最期まで、貧しい人々と在ることを望み、最後の聖餐を涙を流さんばかりに拝受し「主よ、わたしをお見捨てにならないように」。十字架上のイエスを想わせる、この言葉を遺して瞑目した。ブレーズ・パスカル、39歳2か月の生涯であった。かくして、「パンセ」にしるされた信仰を身をもって実践しつつ、永遠の世界へ移されたのである。

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私たちは、「キリスト教弁証論」を読むことは出来ないけれど、主なる神はさらに、優れた、だれでも親しめる、「断章」

パンセを与えてくださった。

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註:上梓;本を出版する。

この稿:10年ほど前のイミタチより、転載、怠けています。