イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

7月3日(金):J・F・ケネデイ

f:id:dotadotayocchan:20200416224606j:plain

      (軍部はキュウバ爆撃を準備した)
何日かインターネットでケネデイの一枚の写真を探してみた。

両手をいたずらっ子のように、無造作に上着のポケットに放り込んで、大統領の執務室から中庭を眺めている、そんなケネデイの横顔と背中の写った写真である。何処で見たのか思い出せない。「小屋」へ行ってケネデイに関する本を数冊探し出してきたが載っていない。結局、その写真は見つからなかった。

『大統領という仕事も、ソビエトさえなければそんなに悪くないな』ケネデイ流のジョークであるが、このユーモアがあの写真のイメージにピッタリなのである。大富豪の御曹司で、稀代のプレイボーイ、敢えて大統領になんぞにならなくてもよさそうなものだが、男どもはそういう冒険が好きなのである。・・

f:id:dotadotayocchan:20200526143533j:plain

   《ソビエトはキュウバへミサイルを搬送した》

《キュウバ危機》という事件が起こって、米ソが核戦争の瀬戸際までいったことがある。当時のソ連の首相はフルシチョフであった。彼もまた、ユーモアのセンスでは、ケネデイに引けをとらない。「フルシチョフは馬鹿だ、大馬鹿者だ」とクレムリンの周辺を叫んで歩いていた男が、当局に逮捕された。早速、

西側の記者が質問した。「あの者は、どんな罪に問われるのか

?」。首相は、ニヤリと笑って答えた。「国家機密を漏洩した罪である」・・・・・・・

中野雄一郎師が、神学校の講義の中で「偉大な人物の特徴は、純情で、底抜けの純真さである」という文章を紹介した。

大統領と言えども、首相と言えども、単独で物事を決定することはない。様々な意見の中から、そんな中にあって、いかに純情で、純真で、明るい未来を描けるか、導けるかがトップの資質である。ケネデイもフルシチョフもその資質を持っていたようだ。・・・・

f:id:dotadotayocchan:20200609104516j:plain

・・1963年6月23日、ベルリンでのケネデイの演説・・

「2000年前、最も誇り高い言葉は《キブイス・ロマナス、スム》(私はローマ市民である)という言葉であった。今日、自由世界において最も誇り高い言葉は《イッヒ・ビン・アイン・ベルリーナ》(私はベルリン市民である)という言葉だ」

西ベルリンは東側の真っただ中にあり、脅威にさらされていた。聴衆は皆涙をもって、ケネデイを見上げてという。

このケネデイの演説は、使徒の働き22章28節の引用である。《私は生まれながらの(ローマ)市民です》使徒パウロの誇りにかけて、当時ソ連と東側の真っただ中で孤立していた西ベルリン市民に希望と勇気を与えた。

f:id:dotadotayocchan:20200605105148j:plain

註:キュウバ危機;ソ連がキュウバにミサイルを配置を計画

(この稿;2012年のイミタチより転載・・・すみません、この頃怠けています)

f:id:dotadotayocchan:20200703063323j:plain