小学5・6年生の頃、母がよく私に軍歌を教えた。私もまた大真面目でそれを覚えた。その頃までは、戦前の日本の戦争について
あまり世界的な非難はなかった。田中首相の時代あたりから、日本バッシングがアジア各地に起こり始めた。それまでは、私たちの年代の人は知っていると思うけれど「日本かく戦えり」というような映画が流行り、敗れはしたものの、世界を相手に戦った日本に、日本人は誇りらしきものを抱いていたような気がする。
そうした日本を快く思わない勢力が、火の手をあげた。戦前の日本の軍部の横暴を上げ連ねた。欧米諸国が焚きつけて、アジアに
反日の機運を高めた。それは、長きにわたってアジアを植民地化し、搾取してきた自らの悪業を、全部日本に押し付けたようなものだった。「戦争に負けるとはこういうことだ」と。誰かが言っていた。間違ってはいけない。アジアを長きにわたって植民地化してきたのは、欧米列強という国々である。日本はそれと戦っただけである。面白い逸話がある。アジアの軍事法廷において、
「捕虜に木の根を食わせた」と裁判で証言した者がいた。現地も食料難の頃である。それにしても木の根を食わせるとはひどいことをすると、法廷では非難されたが、よくよく調べてみたら、木の根と言われるものは「ゴボウ」のことであった。兵隊さんが畑をつくり、ゴボウを植え、それを食し、捕虜たちにも食べさせただけのことであった。東京の軍事裁判も、アジアの軍事法廷も、
国際法を完全に無視して行われた。
「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」までは誰でも知っているがその後に続く「悪逆非道な、原子爆弾により・・・」というお言葉があるのは、日本人もほとんど知らされていない。
あの怖ろしい爆弾を広島、長崎で炸裂させた神経が、私は何年たっても理解できない。
それはさておき。母が教えてくれた「水師営」は今でもしっかりと暗唱している。
旅順開城約成りて
敵の将軍ステッセル
乃木大将と会見の
所はいずこ水師営
庭に一本棗の木
弾丸あともいちじるく
くずれ残れる民屋に
今ぞ相見る二将軍
昨日の敵は今日の友
語る言葉もうちとけて
われはたたえつかの防備
かれはたたえつ我が武勇
movie/225051/
戦争が悪である事には変わりはないが、時代を正しく読むことが出来なければ、私たちはたえず先人の過ちを繰り返す。
《蛇のようにさとく、鳩のようにすなお》ありなさいとの
主のお言葉は、いたずらに大勢に流されないことだと、感じられる。
それにしても、三つ子の魂何とやらで、牧師のくせに一人でいる時には
賛美歌よりも、軍歌を口ずさんでいるのは、気恥しい限りである。