イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

7月9日(木):戦後の軍国少年

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小学5・6年生の頃、母がよく私に軍歌を教えた。私もまた大真面目でそれを覚えた。その頃までは、戦前の日本の戦争について

あまり世界的な非難はなかった。田中首相の時代あたりから、日本バッシングがアジア各地に起こり始めた。それまでは、私たちの年代の人は知っていると思うけれど「日本かく戦えり」というような映画が流行り、敗れはしたものの、世界を相手に戦った日本に、日本人は誇りらしきものを抱いていたような気がする。

そうした日本を快く思わない勢力が、火の手をあげた。戦前の日本の軍部の横暴を上げ連ねた。欧米諸国が焚きつけて、アジアに

反日の機運を高めた。それは、長きにわたってアジアを植民地化し、搾取してきた自らの悪業を、全部日本に押し付けたようなものだった。「戦争に負けるとはこういうことだ」と。誰かが言っていた。間違ってはいけない。アジアを長きにわたって植民地化してきたのは、欧米列強という国々である。日本はそれと戦っただけである。面白い逸話がある。アジアの軍事法廷において、

「捕虜に木の根を食わせた」と裁判で証言した者がいた。現地も食料難の頃である。それにしても木の根を食わせるとはひどいことをすると、法廷では非難されたが、よくよく調べてみたら、木の根と言われるものは「ゴボウ」のことであった。兵隊さんが畑をつくり、ゴボウを植え、それを食し、捕虜たちにも食べさせただけのことであった。東京の軍事裁判も、アジアの軍事法廷も、

国際法を完全に無視して行われた。

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終戦天皇詔勅に、

「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」までは誰でも知っているがその後に続く「悪逆非道な、原子爆弾により・・・」というお言葉があるのは、日本人もほとんど知らされていない。

あの怖ろしい爆弾を広島、長崎で炸裂させた神経が、私は何年たっても理解できない。

それはさておき。母が教えてくれた「水師営」は今でもしっかりと暗唱している。

 

水師営

旅順開城約成りて

敵の将軍ステッセル

乃木大将と会見の

所はいずこ水師営

 

庭に一本棗の木

弾丸あともいちじるく

くずれ残れる民屋に

今ぞ相見る二将軍

 

昨日の敵は今日の友

語る言葉もうちとけて

われはたたえつかの防備

かれはたたえつ我が武勇

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movie/225051/

戦争が悪である事には変わりはないが、時代を正しく読むことが出来なければ、私たちはたえず先人の過ちを繰り返す。

《蛇のようにさとく、鳩のようにすなお》ありなさいとの

主のお言葉は、いたずらに大勢に流されないことだと、感じられる。

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それにしても、三つ子の魂何とやらで、牧師のくせに一人でいる時には

賛美歌よりも、軍歌を口ずさんでいるのは、気恥しい限りである。