・・・殉教者イグナチオス・・・
アンテオケの教会は、エルサレム教会に次ぐ重要な教会であった。イグナチオスはそこの監督であり、また、ペテロの弟子でもあったといわれている。パウロを中心とする外国伝道はこの教会の強力な支援のもとになされ、キリスト信者がクリスチャンと呼ばれるようになったのもアンテオケにおいてである。
イグナチオスのあだ名は、セオフォロスと言われた。
それは、「神を宿す者」との意である。彼はトラヤヌス帝の時代にアンテオケで捕らえられ、死刑を宣告された。ローマへ送られる途中七通の手紙を書いた。彼はローマ市民でなかったために、闘技場で野獣の餌食にされた。・・・・・
彼は殉教に先立ち、おりから助命計画のあることを知って、それをやめるように手紙を書き送った。
《汝ら我がために和を結ぶなかれ。また放免を願うなかれ。
我は麦にして猛獣の歯牙にひかれ、神の清きパンとならんと
欲す。我はキリストのために処刑せられ
よみがえりてキリストによる自由を得る
望みあるを確信す》
アンテオケからローマへの途上で書かれた、七通の手紙が残されているという。その一通の中に、我々の目を引く名前が出てくる。エペソの教会に関する手紙の中に「エペソの教会の監督オネシモ」である。パウロの一番短い手紙、しかも私信でもある、ピレモンの手紙の中にその名がある。逃亡奴隷「オネシモ」である。オネシモは、パウロの友人ピレモンのもとを逃亡しローマでパウロに出会い、キリスト者なった。「彼は(オネシモ)は前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役立つ者となっています」と。パウロは友人ピレモンへ書き送っている。多分オネシモはいったんピレモンのもとに返され、許されて、再びパウロの所へ戻り仕えただろうと。研究者は推測している。そして、役立たずだったオネシモは、パウロや使徒たちが去ったあと、殉教者イグナチオスが、「高名なエペソの監督オネシモ」と書き記すほどの者なっていた。
このライオン君の前に、私たちは信仰を貫き通せるか!。曽野綾子も遠藤周作も他のクリスチャン作家たちも皆逃げると断言している。さてさて、困った。私の祈りは、唯々、「試みに合わせず、悪からお救い下さい」
しかない。