イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

8月2日(日):海軍軍医大尉

f:id:dotadotayocchan:20200731175846j:plain

私が名古屋へ「出稼ぎ」へ行っていたとき、今度は碧南市の方で働いてもらいたいが、そこの寮の賄が必要なので、夫婦で来られないかとの話があった。ちえ子も秋田に一人残されるのは寂しいのでと、二人ででかけることになった。そういうわけで、わたしはタンクローリーの運転手、ちえこは社員寮の食事を作ることになった。・・・・・

f:id:dotadotayocchan:20200616062310j:plain

そこに、日本基督教団の碧南教会があって、日曜の礼拝は、碧南教会に通うことになった。私たちは、そこで深瀬牧師、鷲津メリーさん、そして小林清さんにお会いした。深瀬牧師と鷲津メリーさんについては既にこのブログで紹介した。高見順の親戚筋にあたる人で、画家でもあり、優しい絵を描く方だった。小林清氏は、お医者さんで、小林医院の理事長でもあった。大きな病院で市民病院くらいの病院だった。・・

皆、それぞれに旅人に過ぎない私たちにも、心をかけてくださった。碧南教会は、大きな立派な教会で、小林氏が一億以上の私費を捧げ建てた。

f:id:dotadotayocchan:20200613133907j:plain

私たちが訪ねた頃は90歳を超しておられたが、元気な方だった。私は、その方から二冊の本をいただいた「読まない人には上げないが、本を読みそうな人にはあげる」と言われて、一冊目は、2002年12月8日とご自分で三浦義則様と、わざわざ毛筆で記してあった。二冊目は枇杷島教会を訪ねた時、立ち寄った、その折、「碧南教会に再会を祝して」と署名入りの本をいただいた。本は、先生の自叙伝のようなもので、それこそ小泉信三の家蔵本のようなものだった。・・・・(序文は、いずれもあの日野原重明先生が書いておられる)

f:id:dotadotayocchan:20200531213528j:plain

それによると先生は、戦時中軍医として勤めておられたようである。肩書は、「海軍軍医大尉」であった。明治基地におられた。「明治基地」とは

今では明治村と言って観光地になってなっているところだが、当時はそこに特攻隊の秘密基地があった。特攻隊はそう言う所から、沖縄、九州へ集結させられていた。先生は、その明治基地で、一人の古参の士官に会った。小林平八郎大尉である。「もうそろそろ少佐ですね」と言うと彼は「もうすぐ中佐ですよ」と答えたという。二階級特進とはどういう訳かと尋ねると、俺は特攻に志願しているので、やがて軍神として崇められ、中佐になるのだ、とのことであった。そして、彼は間もなく特攻一番機の隊長として、明治基地から飛んで行った。それから小林平八郎大尉の後に続く若者たちを見送ったという。小林 清 29歳の時である。

「出稼ぎ者」は辛い仕事であったが、それにまさる信仰の先輩と経験と恵みを得た。主イエスのはかり知れない恩寵であったに違いない。

f:id:dotadotayocchan:20200719174415j:plain

f:id:dotadotayocchan:20200406220042j:plain

今日は、ちえこの通院日、経過観察だからさしたることも無かろう。昔のルーテルの信徒でTさんから電話があって、礼拝に出たいとのことだったが、姿を見せなかった。昨今はこういう信徒が増えて来た。都合がつかなくなったら、連絡してくれてもよさそうだが、それもない。「誠実であること」はキリスト者の特性であるはずだが、・・・・小西先生から電話があって、6日に秋田の朝祷会に出さしいてもらうことになった。久しぶりにみんなに会えるのを楽しみにしている。小西先生もブログを書いている。時々のぞくがとてもいいブログだ。

f:id:dotadotayocchan:20200730181801j:plain

スエーデンの陽気な人たちのフォークダンス