イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

8月9日(日):長崎の鐘

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・・・・・・・・・・・長崎の鐘・・・・・・・・・・・・

こよなく晴れた 青空を

悲しと思う せつなさよ

うねりの波の 人の世に

はかなく生きる 野の花よ

なぐさめ はげまし 長崎の

ああ 長崎の鐘が鳴る

 

召されて妻は 天国へ

別れてひとり 旅立ちぬ

かたみに残る ロザリオの

鎖に白き わが涙

なぐさめ はげまし 長崎の

ああ 長崎の鐘が鳴る

 

つぶやく雨の ミサの音

輝く胸の 十字架に

ほほえむ海の 雲の色

なぐさめ はげまし 長崎の

ああ 長崎の鐘が鳴る

 

こころの罪を うちあけて

更け行く夜の 月すみぬ

貧しき家の 柱にも

気高く白き マリア様

なぐさめ はげまし 長崎の

ああ 長崎の鐘がなる

   ☆       ☆        ☆

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長崎の鐘」原爆投下により廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から掘り起こされた「鐘」

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永井 隆が、(長崎の鐘)という随筆を書いた。当時、長崎医科大学助教授であったが、妻は被爆し、自宅に遺骨と、ロザリオが残されていた。その出来事を、「長崎の鐘」という随筆に書き表した。これに、サトウハチローが歌詞を書き、古関裕而が曲をつけた。昭和25年頃の歌で、藤山一郎が歌った。・・・・・

この曲をレコーデイングするとき、はじめは「池真理子」という歌手が歌う予定だったが、彼女は、これは永井博士のことを歌った歌なので、男性の藤山一郎さんが歌うべきだと、辞退したという。自身は「いとし吾が子」をB面に吹き込んだ、というエピソードが伝えられている。昔の人は、芸人でもそれなりの、節度と、奥ゆかしさが、まだあったのだなぁ、と思う。

 ・・・今日は長崎の原爆投下から75年今なお悲しみは残る・・・

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