医療の現場で様々な状況に遭遇します。無脳児に近い状態で生まれ、15年間呼吸器につながれたまま、何の反応もなく、コミュニケーションは一切取れない状態で生き続けている子どものことで、医療スタッフから相談を受けたことがありました。何度も肺炎を起こし、その度に治療をしてきたのですが、このような状態で生き続けるのを援助するのがいいのかどうか、スタッフは疑問を持つようになったのです。これまで何度も両親と話し合いを持ってきましたが、一致した結論がでませんでした。両親の間でも意見の差がありました。父親は延命に反対のようでしたが、一方
母親は何とか生き続けていて欲しいと願っているようでした。私は母親とじっくり話し合ってみました。母親は「たとえ、反応はなくても、あの子が生きていてくれさえすればいいのです。あの子の存在そのものが大切なのです」と言いました。「存在そのものが大切」という言葉はとても印象深く私の心に残りました。ホスピスでも同じ言葉を聞きました。70代で末期の肺がんの男性の患者さんが入院してきました。病状が悪化し、衰弱が進み、息切れもひどくなりました。・・・・
回診のあと、ご家族と話しをしました。「こんな状態で毎日そばに付き添っておられるのは、つらいですね」と言いました。娘さんが「たとえ、反応がなくても、父が生きていてくれさえすれば、それでいいのです。父の存在そのものが大切なのです」と言いました。
今日は、前金城大学学長、柏木哲夫師の、クリスチャン新聞に連載されていた「いのちへのまなざし」から抜粋しました。彼は、日本ではじめて
ホスピスを建てあげた方でしょう。