イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

8月14日(金):広告が多すぎる

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         (一銭五厘の旗)

以前、花森安治について書こうとしたが、「一銭五厘の旗」という本を読み返してみて、何とはなしに気がすすまなくなった。元々、「暮らしの手帖」という雑誌の初代編集長を務めた人だが、その雑誌は一切広告を掲載しなかった。それが信条だった。

・・・最近、私はテレビは、ニュース番組を見るくらいでほとんど見ない。理由は二つある。ろくな番組が無い、もう一つは広告が多すぎる。昨今のテレビ番組の質の低下は、驚くべきである。

評論家の、大宅壮一氏は、テレビ全盛時代に、一億総白痴化と言ったが、今に生きておられたら、何と叫んだであろう・・・・

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それに、広告が多すぎる。本や、新聞なら広告を読まなくて済むがテレビはそうはいかない。最近は番組を見ているのか、広告を見せられているのか、判断がつかない。ほとんどの人は知らないだろうが、以前は、番組の中で広告を入れる時間は、業界団体の自主規制というのがあって、制限されてされていたのだが、いつの間にかタガが外されたようだ。・・・・・・

昭和43年頃に書かれた花森安治の「広告が多すぎる」という

文章があるので最初の部分だけ少し載せてみる《どんなにいい商品を作っても、宣伝しないと、さっぱり売れない。いまは、そういう時代である。逆にいうと、いい加減な、粗悪な商品でも、巨大な費用を投入して、繰り返し繰り返し派手な宣伝を打ち込んでゆくと、おどろくほど売れるようになる。いま、のびている企業は、みんなそのことに気がついた企業である。・・・・・

 

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とまぁ、こんな調子なのだが、今は、もっとセコイことをしている、2時間番組の場合、はじめの時間帯は比較的、広告が少ない

視聴者が面倒くさがって、チャンネルを変えると困るので、多分そうしているのだろう。それにもうひとつ、番組が面白いところにくると、パッツと広告を入れる傾向がある。これは人間の神経を痛める、強制的に思考が中断されると、心理的、精神衛生の観点からして有害だと思うのだが・・・・・・、テレビは公共の電波を利用している。そこには自ずから節度があってしかるべきだろう。

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