イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

9月19日(土):何処へ いずこへ

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ローマへ

ポーランド人のシエンキェビッチという人が1895年に書いた小説の題名である。私は多分、小学生の頃「少年少女世界名作集」というような、いわゆる子供向けの「ダイジェスト版」で読んでいた。未だキリスト教とは無縁の頃だったが、「何処へ」という言葉がその後ずっと残った。・・

元々は、恋愛小説で、子供がそんな本を読むのが恥ずかしくて、隠れ読みしたものである。その後、大人になってから、改めて「岩波文庫」上、中下、三冊買って読んだ。一冊200円、本も安い時代であった。・・・

物語のあらすじは、(この本は有名なので既に読んでいる人もあるかと思うが)。時はローマ、ネロの時代である。退位したルギア族の王の娘、カリナと、ローマ軍の大隊長マルクス・ウイニキスとの恋愛物語であるが、方やローマ軍の将校、一方、カリナは、ローマ元老院の人質として、ローマに来ていた。そして彼女はクリスチャンでもあった。二人の恋愛は成就する見込みはなかった。加えて、美しいカリナは、皇帝ネロの目にとまっていた。当時の教会は、二人の純愛をネロの毒牙から守るべく奔走した。

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およそ、900ページにもなる物語を数行にまとめると、こんなことであるが、この本の評価を高めたのは、最後の数ページである。折からネロによるキリスト教迫害の嵐の真っただ中である。それらのことを織り交ぜながら物語は進むのだが、最後の場面、ローマの教会は、このままでは、いずれペテロも捕らえられ、処刑されることになるだろうと心配し、自分たちはともかく、老ペテロ、教会の柱である使徒にはどうしての逃げ延びて欲しいと願い、渋る使徒を説得して、少年一人を従者にして、アッピア街道を下らせた。事件はその途上に起きた。少年は不思議な光景を見た。突然、師匠ペテロが街道にひれ伏して、声を上げた。『クォ・ヴァディス

(主よ、何処へ)少年の目には見えなかったが。ペテロの目には、アッピア街道をこちらに向かって歩いてくるイエスの姿が見えた。老使徒は言った。「主よ、何処へ行き給うのですか」「ローマへ、お前が我が羊を置き去りにするなら、わたしは、お前の代わりにもう一度十字架につく」。

「おぉ、主よ おぉ主よ」と声をあげながら、パウロ達のいる教会へ戻り

そして、十字架につき殉教していった。・・・・・・・

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ペテロは主と同じ十字架につくのは畏れ多いと逆さづりを望んだという

小説ではあるが、当時の教会の様子が見事に再現されている。この小説は

以前トマス行伝で紹介した。聖書外典偽典のペテロ行伝35章にも記されている。ポーランドの「何処へ」の著者は、ほぼ間違いなくこれを参考にして書かれたものであろう。復活の主イエスは、ペテロの最期がどのようになるか既に、あのテベリヤの湖畔で予見していたのである。・・・・

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獣に襲われる殉教者たち

 

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