今日、書棚で羽鳥明先生の本を見つけた。懐かしくおもわず手に取ってみた「今日の詩篇・明日の詩篇」という本だった。パラパラとめくると、詩篇の講解であった。これまで朝のデボーションに、榎本保朗師の旧約を、それから新約のものを使っていたのだが、2ページにわたる長文で、朝の祈りのみ言葉には、不向きに思えた。それで小宮山林也師のものも読んでみたが、これはさらに長文で、使うにはむつかしかった。「どうしたもんじゃろうねぇ」と思っていたところであった。早朝から長文の文章は記憶に残りずらい。そんなわけで、明日から羽鳥先生の本を読むことにした。
・・・・因みに9月20付の詩篇の講解を紹介してみる・・・・・
「家の中」が問題・・・詩篇101篇2
『私は、正しい心で、自分の家の中を歩みます』
人は、自分の家の中でどのように歩むかが大切です。よく「内面」(うちづら)「外面」(そとづら)と言いますが、わたし自身も含めて、外面はいいけれど内面が悪い人が多いのです。外では明るく優しくにこにこし、謙遜で礼儀正しく思いやりがあるのに、家の中ではわがままで自分勝手、ありがとうも、おはようも、ごめんなさいのことばもないということがあるのではないでしょうか。・・・・・・
この聖書の言葉は、一国の王、しかも人気絶頂の王ダビデが自分を戒めて告白している言葉です。「私はまず、自分の家の中で、正しい態度で歩まなくてはならない」と。・・・・・・
「その人の人格、本当の値打ちは、その家庭を見ればわかる」と言うと言いすぎでしょうか。100%そうでなくても、一つの大きな目安にはなるでしょう。ですから老熟のパウロは、若いテモテに、「自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることが出来るでしょう」(Ⅰテモテ3;5)と言いました。・・・・・
・・・ノアの箱舟・・・
ノアは、いろいろ欠点もあったと思いますが、いつも感心させられる点があります。神は罪に汚れた世界を大水をもって滅ぼすことをノアに告げ、
そして神に信頼する人を助けるために大きな箱舟を造らせました。だれひとり、悔い改めてその箱舟に入る者はいませんでしたが、ノアとその妻
三人の息子とその嫁の合計八人は、神の命じられた通り、箱舟に入りました。ノアという人が自分の家庭の中でどのように歩んでいたかが分かります。外の世界でどう歩むかも、もちろん大切です。しかし、ダビデは、自分の家の中でどう歩むかが。より大切だと知っていたのです。・・・・・
前の教会にいたとき、牧師は日本中の有名な先生方をお招きして、特別集会をもってくれた。羽鳥先生も来られた。実弟の純二先生も同行され、左翼運動から解放され、救われた証をして下さったのを思い出す。帰りにはお二人を車で駅までお送りし、少し。個人的にお話出来たのが今でも嬉しい思い出になっている。・・・
小宮山林也先生も呉市から、お出でになった。当時で旅費6万円をお渡ししたのだが、そっくり献金していかれたのには、驚き、懐かしい思い出であった。
今日の礼拝には都合で来れないと言っていたTさんが来ることが出来て感謝。美穂子さんはお仕事でお休み、昨日午前中来てくれて共にお祈り出来た感謝。今年も恩寵教会名物、きりたんぽ会を来月第4週に概ね決まり。