この賛美歌を作詞したのは、ジョン・ニュートンという人で、曲の作者は不明となっている。アイルランドとスコットランドの民謡を参考にして曲は作られたようである。クリスチャンに最も親しまれている賛美の一つである。
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ジョン・ニュートン(1725年~1807年)。母親は敬虔なクリスチャンで、よくジョンに聖書を教えたが、彼が7歳の時に、召された。彼は
成長してから、商船の指揮官をしていた父親の下で船乗りになり、やがて様々な商船を渡り歩く。そうこうしているうちに「奴隷貿易船」に関わるようになった。このことが彼に大きな「富」をもたらした。・・・・・
当時の奴隷船はひどいものであった。アフリカで奴隷狩りにあった黒人を
アメリカに売りさばいていた。奴隷船の環境は劣悪で、栄養失調、感染症、脱水症などで多くの黒人たちが、目的地に着くまでに死んでいった。
1748年・・・転機がおとずれた。イングランドへの航海の途中、嵐しに見舞われた。今にも船が沈みそうになる時に、敬虔な母から聖書と祈りを教わっていた彼は、その時、初めて神に祈った。船の船底にあいた穴が、流出物でふさがり、辛うじて難破を逃れ、彼の命も助かった。しかし
彼も喉元過ぎれば熱さを忘れる如く、さらに6年間もこのおぞましい仕事を続けたのである。・・・・・・・
1755年・・・彼は後に「真の改悛を迎えるにはさらに多くの時間と出来事が必要だった」と述べているように、この1755年になるまで、依然として奴隷商人のままでいた。彼はようやく、病気を理由に船を降りた。それから、勉学と多額の献金を重ねて、牧師となった。・・・・
1772年・・・この年に、アメージング グレイスを作詞した。自分のして来たことに対する改悛と、それにもかかわらず、赦しを与えた感謝の想いを綴ったものであった。
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驚くばかりの恵み
私のような悲惨な者を救って下さった
かつては迷ったが、今は見つけられ
かつては盲目であったが、今は見える
神の恵みが私の心に恐れれることを教えた
そしてこれらの恵みが恐れから私を開放した
どれほどすばらしい恵みが現れただろうか
私が最初に信じた時に
多くの危険、苦しみと誘惑を乗り越え
私はすでにたどり着いた
だから、恵みが私を家に導くだろう
そこに着いて一万年経った時
太陽のように輝きながら
日の限り神への賛美を歌う
初めて歌った時と同じように。
私たちは、偉大な先人たちの生涯を見る時、ほとんど例外なく、様々な挫折や障害を乗り越えていることを知ることが出来る。ジョン・ニュートン
もまたそうした一人であった。・・・・・・・・・
『神よ。まことに、あなたは私たちを調べ、銀を製錬するように、私たちを練られました』詩篇66:10節