イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月14日(水):恋文

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生涯一度だけ恋文をもらったことがある。と言っても六十年ほど前のことで、高校生の頃だったと思う。皆さんのニヤケタ顔が浮かぶが、真面目な話でどうしても書いておきたいことの一つである。

そもそもの発端は中学時代にさかのぼる。村の小さな中学校で生徒会の役員をさせられていた。文化祭があって、その総括みたいなことを全校生徒の前で報告しなければならなかった。私は横着してその役目をK子と言う名の女の子に頼んだ。「はい」と返事はよかったが、いざ講壇に上がり、講堂に集まった全校生徒を見ると、彼女の足がすくんでしまった。無理もない、おとなしい内気な子で、こんなことは初めてだ。講壇に立ち尽くしたまま棒のようになってしまった。私はそれを見て「しまった!」と後悔した。全校生徒の目が一斉にその子に注がれて、パニック状態だった。私はすぐに講壇へ上がり、K子を講壇からおろし、文化祭の報告をして、講壇を下りた。私は弁論大会などで、講壇に上がることはさして苦にならなかったが、そんな経験のない子には、途方もない事だったに違いない。そのあたりが私にはまだ理解不足で、軽はずみなことをして、K子に辛い思いをさせてしまった。しかし、さほど誰も気に留めない小さな出来事であった。・・・・・・

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K子は、中学を卒業して、名古屋の紡績工場に就職した。私は高校へ進学していた。何年生の頃かよく覚えていないが、一通の封書がk子から届いた。長い手紙だったように記憶しているが、内容はよく覚えていない。

(あぁ、なんて薄情な男だったことか!)。ただ一行だけ覚えている。

「お慕い申し上げております」と書かれていた。これが生涯ただ一通の

恋文であることは間違いなさそうだ。言い訳すると、私は高校生の身であり、秋田と名古屋は遠い。情けないことに返事を書いたかさえ覚えていない。いずれにせよ、どうにもなる事ではなかった。・・・・・・・

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それから二十年余の歳月が過ぎて、K子は結婚していてご主人を伴って帰郷した。同級会で彼女に会った。もとより、昔の話はしなかったが、その時は快活に見えた。そして、それが彼女を見た最後の日になった。・・・

ほどなくして、同級生の「情報屋さん」が、「K子が飲んだくれている」

と。結婚してそれなりに幸せに暮らしているとばかり思っていたのだが、

どうやら、街にまで出て、飲み歩いているらしいのである。多分農家を継いでいて、家庭持ちの女性にあれこれ、首を突っ込むことも出来ない。心配はしていたが、間もなく、「情報屋さん」が電話をかけてきて、「k子が死んだ」と。知らせてくれた。はかないと言えば、はかない人生だったかなと思い、あの恋文に応えられなかった自分に、深い傷跡を残したような気がする。もとより、彼女の深酒が、私のせいだとは思いたくはないし、もっと他の何かが彼女をそう言う風に追い込んだのかもしれない。いずれにせよ、私にとっての問題は、乙女の一通の恋文に不誠実であったということは生涯忘れることは出来ない。・・・・・

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猫のアルがしっかり我が家の一員になったようだ。我がもの顔でふるまっている。癪に障ると、動物センターに返すぞと脅しても一向にお構いなし。私がいつもパソコンに向かっているので、猫背になる癖がついてしまい、食事の時も猫背。その背中にアルがのっかてくる。猫背の上に猫がいて、言うのです「あぁ、わたしは もうセンターへ帰れない」と言うのです。どこかで聞いた言葉だと思ったら、「ビルマの竪琴」で、水島上等兵の、残して行ったインコの言葉じゃありませんか。あいつ俺のブログを見ているんじゃないか?・・・・皆さんも読んでネ・・・・・

犬のまるはまるで、今朝山へ行ったら、獲物を見つけたらしく、一目散に森の中へ入って行ったきりに2時間も帰って来ない。好きにしろとおいて帰って来たが、ふらふらして足を引きずり手ぶらで帰って来たので、朝飯は抜き・・・・・

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残念ながら上の写真のように、うちのまる君は賢くはない