イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月21日(水):青春時代

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卒業までの半年で

答えを出すと言うけれど

二人が暮らした年月を

何で計ればいいのだろう

 

青春時代が夢なんて

あとからほのぼの思うもの

青春時代の真ん中は

道に迷っているばかり

 

二人はもはや美しい

季節を生きてしまったか

愛に悲しむ人になる

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青春時代が夢なんて

あとからほのぼの思うもの

青春時代の真ん中は

胸にとげさすことばかり

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(リンクコード:https://www.uta-net.com/song/2781/) 

  

        ☆     ☆     ☆ 

・・・・伝道者の言葉・・・・(12章1節)

『あなたの若い日に、あなたの創造主を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に』

また、11章の終わりの部分にこうある「若い男よ。若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心のおもむくまま、あなたの目の望むままに歩め。しかし、これらすべての事において、神のさばきを受けることを知っておけ」・・・・・・・・・・

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青春時代と言う歌が流行ったのは、何時の頃だろうか、高校の時。淡路島から来た淡路と言う先生が、「今の自分が青春だと感じている限り常に青春だ」と語ったのを覚えている。そうか!。それじゃ万年青春だなと思ったものだった。75年以上生きていると体は老いる。物忘れはする。若い頃には何でもなかったことも、やたら億劫になる。エートそれから何だったかな。いずれにせよ、召される準備が着々と整ってくるようだ。本当のところもういいかと思うのだが、パウロが、ピリピ書(1章23・24節)で余計な事を書いていて困っています。すなわち「私の願いは、その二つの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいる事です。実はその方が、はるかにまさっています。しかし、この肉体にとどまることが、あなたがた(ちえこ)のためには、もっと必要です」

この老いたる青年は、しわわせに満ちている。石川達三の本に「青春の蹉跌」と言うのがあった。読んではいないが、おおよそ解説などで知っている。「青春時代」の歌とどこか似ている。若い頃はいくつかの恋愛をし、

喜びも、蹉跌も味わってきた。そのことは自分の越しかたに、彩を添えている。それが今の時になって輝いているような気がする。ただ、恋愛においてアコギな事だけはしなかった。このことにおいて、主は私をお叱りになることはならないだろうと思っている。こうして、しあわせな老後をおくれている嬉しい気がする。

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他のブログを書いている人の中に、悪性リンパ腫の女性の人がいて、大変な中にも上手に生きている様子があった。いつも覚えて祈っている。モモコさんの入院も決まった。手術がうまくいって一日も早く復帰できるように祈っている。洋平君は退院した。一安心。GOOD NIGHT