イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月24日(土):浜辺の歌 成田為三

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あした浜辺をさまよえば

昔のことぞ忍ばるる

風の音よ雲のさまよ

寄する波も貝のいろも

 

ゆうべ浜辺をもとおれば

昔の人ぞ忍ばるる

寄する波よ返す波よ

月の色も星の影も

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作曲:成田為三 作詞:林 古渓

 

 

かなりや

唄を忘れた 金糸雀(カナリヤ)は

後ろ山へ棄てましょうか

いえいえ それはなりませぬ

 

唄を忘れた金糸雀

背戸の小藪(こやぶ)に埋めましょうか

いえいえ それはなりませぬ

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唄を忘れた金糸雀

柳の鞭(むち)でぶちましょうか

いえいえ それはなりませぬ

 

唄を忘れた金糸雀

象牙の船に銀の櫂(かい)

月夜の海に浮かべれば

忘れた唄を思い出す

https:www.uta-net.com/

song/2140841

作曲:成田為三 作詞:西條八十

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    ☆      ☆        ☆

成田為三は、旧米内沢町、現在は市町村合併によって北秋田市に生まれた。作曲家としての天分は、「浜辺に歌」「かなりや」「赤い鳥小鳥」などによって、日本の童謡史に大きな影響を与えた。小学校の唱歌にも載っていたし、私たちの年代の者は、多分誰でも口づさむことのできる歌なのだろうと思う。「荒城の月」もそうなのだが、曲と詩が一体となって名曲を生み出す。どこかのシンガーソングライターが話していたが、曲があって詩が出来る、詩があって曲ができる。どちらが先かと言うことは、分からないのだそうである。そこには我ら凡人の理解を超えるものがあるのだろう。そう言えば、中学までの同級生に、成田為三の縁戚にあたる娘がいた。どういう関係か生徒たちは誰も知らなかった。柴田さんの縁戚だと言う家に、住んでいた、実子ではなく、どこからかあずけられていた子で、

親の名前も、私たちには、素性も全く分からなかった。素直ないい子だった。世話する人がいて、同じ部落の二年先輩の人と結婚して、北海道で暮らしていると聞いた。私が帰郷したころ、同じ同級生三人で、十和田湖

行った記憶がある。どこかに写真もあるはずだが、どこへ行ったやら・・

結構楽しそうにはしゃいだ写真だったのだが、この娘の内にどこかくらい影が見えたのは、わたし気のせいだったのだろうか・・・・

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赤い鳥小鳥

なぜなぜ赤い

赤い実を食べた

 

青い鳥小鳥

なぜなぜ青い

青い実を食べた

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米内沢地区に「浜辺の歌音楽舘」があり、成田為三の業績を展示している。ある評論家は、北秋田市の人は、もっとこの作曲家を誇ってもいいと述べている。高岡先生の奥さんは、昔、中村紘子に師事した声楽家であったが、牧師夫人におさまった。一度、名古屋の公会堂で、その歌声を聞かせて頂いた。どうされているかな・・・・

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