イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月25日(日):オパールの指輪(寓話)

f:id:dotadotayocchan:20200909164528j:plain

東洋の古い寓話にこんなものがある。すばらしいオパールの指輪を持っていた人がいた。誰でもその指輪をはめると、その性質が優しく誠実になり、すべての人に愛された。その指輪はお守りであった。常にこの指輪は父から息子へ伝えられた。そして、いつも効き目があった。年月が経過して、この指輪は、同じように愛する三人の息子を持つ父親に傳えられた。

その父親に死が近づき、指輪を伝えるときが来た時、彼はどうしただろうか。その父親は、他に二つの指輪をつくらせた。それは誰も相違を見分けられないほど本物そっくりに造られていた。彼は死の床に息子を一人ひとり呼び入れ、愛の言葉を語り、別々に指輪をひとつずつ与えた。間もなく

三人の息子たちは、おのおのがみな同じ指輪をはめているのに気づき、どれが本当の指輪であるか大変な論争になった。

f:id:dotadotayocchan:20200710132208j:plain

この事件は、賢明な裁判官のところへ持ち込まれた。裁判官は指輪を調べ、沈黙した。やがて彼は言った「わたしはどれが本当の魔法の指輪か分からない。しかし、あなたがそれを証明できる」と。「われわれができるですって?」と息子たちは驚いてたずねた。「その通り。なぜなら、もし本当の指輪が、それをはめる者にやさしさを与えることが真実ならば、その人の善良な生活によって、わたしもこの町にいる他のひとも本当の指輪をはめている人を見分けられるだろう。だから、それぞれ自分の方法でやりなさい。親切、誠実、勇敢、正確でありなさい。これらのことを行った人が本当の指輪の持ち主なのだ」と裁判官は答えた。事件は、生活によって証明されようとしていた。・・・・・・

f:id:dotadotayocchan:20201024174208j:plain

人を善人にする信仰を非難することは誰にもできない。もしわれわれがこのことを覚えておれば、今までよりも非寛容であることは少なくなるだろう。

f:id:dotadotayocchan:20201016154934j:plain

そして最後にいつも覚えておかなければならない一つのことがある。それは、我々がある人の信仰を憎むことはあっても、けしてその人を憎んではいけないということである。我々はある人の教えを取り除きたいと思うかも知れないが、我々は決してその人を排除しようとしてはならないことである。神に至る道は一つ以上の道がある。ある人はこう語っている「神はご自身を多くの方法で成就される」。また、ドン・キホーテの作者は、

「神は彼の民を運ぶの多くの路を持ち給う」と。これらの結論は、真理は

ひとりの人が把握できるよりも常に大きいということである。誰もすべての真理を把握できる者はいない・・・(バークレー:マルコの福音書9章38~40節までの解説として書かれたものから引用)

f:id:dotadotayocchan:20200626161823j:plain

今日は佐々木秀一師がメッセージを取り次いでくださった。恩寵教会名物

きりたんぽ会。美穂子さんが毎年作ってくれる。みんないっぱい食べた。

 

f:id:dotadotayocchan:20200611090840p:plain