イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月26日(月):二心の者

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『私は二心の者どもを憎みます。

しかし、あなたのみ教えを愛します』詩篇119;113

私はこの言葉を、「私は二心の者になりたくない。心を一つにし、精神を尽くし、力を尽くして、神を愛する者でありたい」と言い換えられるようね気がしてなりません。・・・・・・

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私を導いてくれた宣教師の老夫人は、神を信じようとしていた私に念を押してこう言いました。「羽鳥さん。私たちって、心と口がちぐはぐになりやすいんです。心の中で憎んでいても、口ではお世辞を言うんです。心の中で反抗して、無理していても、口先ではハイハイと言うんです。でも、羽鳥さん、神に対しては、心も口も一つにしてまるごと信じ、まるごと従い、まるごと愛するのですよ、これが新しい生活の始めです」・・・・

しみじみと今思い出す教えです。二心とは分かれた心です。本音と建て前が違い、心と口が食い違う、面従腹背の姿です。・・・・・・

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ヤコブは二心のある人は、その歩む道のすべてに安定を欠いていると言いました(ヤコブ1;8)一つの心で神と神の言葉を愛し、信じそれに従うとき、つまり、神に対して真実であるとき、私たちは真実に人を愛することが出来るのではないでしょうか。そこに、平和も喜びもあるのです。

聖書は、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、あなたの神、主を愛しなさい」と教えています。何処でこんな生き方を学べるでしょう。ヨハネはこう語りました。「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛が分かったのです」。

ヨハネⅠ:3;16)羽鳥明師、「今日の詩篇」10月26日より・・・

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今日はお目目が痛いので、これ以上書くのが難しい。手術をした方はいいのですが、右目がまだですので、まつげが眼球に刺さって痛むのです。これも家系で、下瞼ははれぼったくなり、そうなると、まつげが眼球を刺さってしまうようなのです。まぁ、「命に別状ないので、それでよし、としましょう」パウロのように肉体に刺さった棘も、「恵み」と思うほどの我慢強さはないので、お休み!!!・・・

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