イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月28日(水):鬼籍の人たち

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一年ほど前、同級会の案内が来た。珍しく欠席の通知を返送した。私たちのクラスは、戦前生まれで生徒数も少なく、小学1年から中学まで、9年間一クラス50人でずうとやってきた。クラス替えはなかった。だから、同級生は、それぞれどういう境遇にあるか皆が知っていた。転校生、転入生は一人二人くらいしかいなかった。たえず50人のクラスであった。・・・・

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そんな同級会だから、地元で生活している者はたいてい出席した。が、わたしはこの度は、出席する気にはなれなかった。後期高齢者とやらにさせられて、まわりをみると、誰もいなくなっていた。同級生で特に親しくしていた者たちは、鬼籍に入った。同級会に出て、やぁ、やぁ!と親しく声をかけられる、かけたい者は皆鬼籍に名を連ねていた。・・・・

不思議なくらい、私の会いたい人はいなくなっていた。50人のクラスも今では、私が確認しているだけでも8人にもなる。その他都会に出て行ったものの中に何人かは消息が分からない。・・・・・

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kと言う同級生がいた。小学生の頃は家は隣同士だった。度胸のいい男で

今でも忘れられないが、校庭のブランコを私を座らせたまま、ひっくり返りそうになるまでこぐのである。私は、今にも地面に落っこちそうで、随分怖い思いをしたが、kはニヤニヤ笑っていた。高校は別々になった。3年生くらいになると彼は「番長」を張った。もともと、優しい男だったので、自分ではそうは思っていなかったようだが、まわりがそう思っていた。ある時駅前で、バッタリであった。「ヨシノリ、御所野をコテンパンにのしてやったからな。あいつ、三浦にヤキを入れてやったと言いふらしてあるいていたので、ヨシノリは俺のダチだ、よくもやってくれたなと言って、ボコボコにしてやった。・・・・」

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と私の仇を討ってくれたことを教えてくれた。実は、少し前その御所野という他校の生徒に、トイレに引きずり込まれ、「生意気だ」と言うことで、往復ビンタをくらっていた。抵抗はしなかった。喧嘩の仕方を知らないわけではなかったが、その頃はみんな下駄を履いていた。奴の「弁慶の泣き所」を蹴り上げ、後はボコボコにすればよいだけだったが、「貧しい家の子」は、事の是非を問わず問題を起こしてはならなかった。停学や退学処分は避けねばならなかった。御所野も優しい男だったのか、往復ビンタもさほどきつくはなかった。しかし、何倍ものお返しをされた。・・・・・・可哀そうに・・・・

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そのkも早くに亡くなった。還暦も大分前だろう。その頃は私の家は引っ越して隣村にいたので、詳しい経緯は分からない。10年程前、まだ仕事をしているとき、kの奥さんから電話があって、窓の修理を頼まれたことがある。仕事が済んで、雑談の合間に奥さんが恨み言を言い出した、「主人は、障害のある子を遺して、自分だけさっさと逝ってしまった」と。・・

それからしばらくして、もう一か所窓をつけて欲しいと連絡があり、出掛けた。そしてまた、奥さんの苦衷を聞かされた。絶食生涯の子で、食事の世話が大変らしかった。自然食品を扱っている店もあるが、それも限りがある。唯々話を聞くしかなかった。・・・・・・・

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驚天動地の事件がその後に起きた。奥さんがその子をあやめ、自分も死ぬために山へ入った。警察による捜索が始まり、一旦は保護されたが、留置場で目を離した隙に亡くなっていた。この事件は既に公になっているので

敢えて書いているが、私は兼業であるが、牧師である。あの時なぜもっと親身になって、やれなかったのか。まして。「義理」のあるkの残された家族である。悔恨は残る。私の至らなさは主が赦してくださるとしても、それで、万歳という訳にはいかない。生きている限り「苦さ」(にがさ)は消えることはない。「kよ、すまない、俺は牧師のくせに、お前の家族を守れなかった」・・・・

まだ、事は終わっていなかった。教会に洗礼を受けたいと一人の女性が、ある人に紹介されやって来た。話を聞いて、驚いた。彼女は生まれながらの障害のある子を抱え、母親を亡くしたばかりだった。ケースとしてはkの奥さんと全く同じ状況にあった。このことは彼女には話してはいないし、彼女はしっかりした女性だ、余計な心配は不要だが、このうすぼんやりした牧師は、過去のうすぼんやりを引きずって行かなければならない。

主イエスは、『わたしはお前を裁かない、しかしお前の過ちは、わたしの

ところへ来る迄、引きずって来なさい」と。仰せられる。

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私たちは、主の贖いによって過ちを裁かれることはない。しかし、間違ってはいけないことは、罪を犯した苦さは、御国に入るまで残る。主が私の衣を白くきよめて下さるまで、残る。そのことを忘れないようにしたい。