イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

11月12日(木):悪魔の神学校

f:id:dotadotayocchan:20201017112037p:plain


悪魔の神学校で、この春卒業予定の学生に課題が与えられた。『いかに人間を誘惑し、滅ぼすかその計画を述べよ』と言うものであった。

第一の学生が言った「私は、人間に神はいないと言います」と答えた。すると教授は「ダメ、ダメ、そんなことでは人を騙すことは出来ない。神がいることは、みな知っているのだから」・・・・・

第二の学生は、「私は地獄はないと言うつもりです」と答えた。

すると教授は言った「ダメ、ダメ、そんなことで騙される人は一人もいない。人間は、罪に対して地獄があることを、今でも知っている」・・・・

f:id:dotadotayocchan:20200703063427j:plain

第三の学生が言った。「私は急ぐ必要はないと言いましょう」すると教授は言った「よろしい、行きなさい。お前はたくさんの人たちを堕落させることが出来る」・・・・・

f:id:dotadotayocchan:20200920164539j:plain

      ☆      ☆        ☆

時間が十分あると思うことは、すべての錯覚の中で最も危険である。明日に依存するのは非常に危険である。翌日まで待てない事柄があるではないか。自分に明日があることを、誰が保証できるだろうか。不幸の原因となるものはまだ時間があるという油断である・・・

ダビデは偉大な王であった。その偉大さの根源を思うとき、私はいつも、あの事件を思い出す。それは、Ⅱサムエル12章に記されている。バテシバとの不義の子が預言者ナタンによって、死を宣告されたとき、ダビデ

その子のために神に願い求め、断食をして一晩中地に伏していた。長老たちは引き起こそうとしたが、ダビデは起きようともせず、食事もとろうとしなかった。7日目に子供は死んだ。ダビデはまわりの様子から、子が死んだことを悟った。「子供は死んだのか」彼らは答えた「亡くなられました」。するとダビデは地から起き上がり、回りに居た者たちは皆一様に驚いた。ダビデは言った。「子供がまだ生きているいる時に断食をして泣いたのは、もしかして、主が私を憐れみ、子供を生きるかも知れないと思ったからだ。しかし今、子供が死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか。私はあの子のところへ行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない」・・・

f:id:dotadotayocchan:20200618204857j:plain

失われた「時」と「子供」をダビデは明日迄引きずるようなことはしなかった。もうしばらく悲しませてくれとは、ダビデは考えなかった。そのところが常人と異なっていた。少なくとも我々凡人には出来ないことなのかもしれない。「まだ、時間があるよ」と考え始めると、人はやがてサタンに足をすくわれる。偉大なこと為す人はそうした決断力を持っているようだ。・・・・決断すべき時にまだ明日があるよと考えるべきではない。

f:id:dotadotayocchan:20200701110440j:plain

f:id:dotadotayocchan:20201104154845j:plain

お昼頃、福原さんがいっぱい食べ物を持って訪ねて来てくれた。歩いて来てくれたという。リュックを背負い、両手に荷物を持って、3時間以上歩いて来たのだろうと思うと、ついつい涙腺が緩む。・・・・・

先ほど、竹内先生、弘子奥様から、すばらしい贈り物が届いた。陶器に金の縁取りをした綺麗な飾り品で、早速ちえ子が、講壇へ飾った。感謝!。

昔、碧南にいた時、「瀬戸物」とは、瀬戸内海で造られているものと思っていたが、愛知県の瀬戸市だと聞いてびっくりしたものだった。・・・

f:id:dotadotayocchan:20200922173016j:plain