イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

11月13日(金):初めに、神が天と地を創造した

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ある人が、宇宙儀の模型を持っていた。太陽があって、その周りを地球が回り、地球の周りを月が回る、と言うような構造のもので、可動式になっているのがご自慢で、悦に入っていた。ある日、友人が訪ねてきて、その見事な出来栄えに驚きながら言った。「これ、すごいね誰が造ったの」。

「誰が造ったわけじゃないんだ。自然に出来ちゃったんだ」。

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「冗談はやめてくれ、こんな精工な物が誰かが造らなければできる訳がない」「ヘェーイ~。だって君たち無神論者は、この宇宙は皆自然に出来たといっているじゃないか。こんな玩具のようなものでも、誰かが造らなければ出来ないと知っているのに、天と地は、神が造られたと言っても信じない。おかしくないかい。一分一秒も違いもなく運行されている、この地球は神が造り、神が動かしているんだよ。こんな精巧な宇宙儀は絶対には自然には出来っこないよ。何億年経とうとも・・・・・」

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     ☆          ☆          ☆

真実に満ちた創造主についての聖書の最初の証言は、その単純さのゆえにかえって荘厳さをうかがわせる。そこには神の定義とか、創造に関する説明とか、年代の宣言と言うものがない。これは神の『宣言』であり、完結しており、異論のさし挟む余地はない。全ての信仰の「基」(もとい)はここに始まりここに戻ってくる。人間が提出したすべての誤った「考え」がこの一語によって否定される。

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「初めに、神が」:これは多くの神々の存在を説く多神論を否定する。

「初めに、神が・・創造した」:これは偶然を教理とする運命論を否定。

「初めに、神が・・創造した」これは無限の変化、生成という教理を持つ進化論の否定である。

「神が天と地を創造した」:これは神と宇宙を同一視する汎神論の否定である。

「神が天と地を創造した」:これは、物質の永遠性を主張する唯物主義の否定である。

このように最初の主の証言は、神聖な真理の宣言であるばかりでなく、人間的誤りの否認ともなっている。

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我々は、天を仰いで神の偉大さを知り、地の草花を見て、神の愛を知る。