イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

11月14日(土):マルチン・ルターの生涯

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ルターは、プロテスタントを代表する宗教改革者として、世界中で最も名高い偉人の一人です。彼は1483年中部ドイツのアイスレーベンという小さな町に生まれました。ルターの家は先祖代々自由農民でしたが、父は貧しい炭鉱夫でした。両親は両方とも信仰篤く、彼は幼少よりきびしい躾を受けて育ちました。小学校を出たルターは、14歳になって家を離れ、勉学に進むために聖ゲオルク学校へ送られました。しかし、家が貧乏なので学費が足りないので、家々の門口に立ってまるで乞食のように、歌をうたって物乞いをして歩かなければなりませんでした。ところが、この町に信仰深い大家のウルスラ夫人が、ルターを認めて自分の家に迎え、勉学を続けさせるために保護をしてくれたのでした。その後、18歳でエルフルト大学に入学し、よく学問に励みましたので、翌年には哲学士となることが出来ました。

落雷事件・・

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大学でのルターは品行方正で、その上よく勉強しましたので、両親も周りの人々彼の将来に大いに期待していました。そんなルターでしたが、心に少しも平安がなく、神はどんな小さな罪も見逃さずに、審かれる恐ろしい方としか思うことが出来ませんでした。彼が21歳になった年のある日、休暇が終わって帰校の途中ある村の付近に来た時、激しい雷雨に襲われました。天に轟く雷鳴は一緒に歩いていた友人を直撃し、自分もそのショックで大地に投げつけられるという事件にあいました。この時の体験は、彼の進む道を大きく変えてしまったのでした。前途有望であったこの世の成功の道を捨て、父の反対をも退けて修道士の道へと進みました。

平安を求めて・・こうして彼は、アウグスティヌス修道院へ入って、どんな難行苦行もいとわずに、心の平安を得ようと必死に精進をしましたが、かえってますます罪の意識が深まるばかりでした。・・・・・

1510年に修道院の用事があって、ローマに赴きました。そこで多くの人がしていたように聖人と言われた人の遺物を拝んだり、サンピエトロ広場の石段を膝でのぼったりして、自分の救いのために巡礼のように歩き回りましたが、唯々失望して帰る結果となりました。しかし、その後シュタビッツという優れた先生から、本当に救われる道は、罪を審き地獄へ投げ入れる神に目を留めるのではなく、キリストの十字架に現わされた神の愛に目を留めるべきであることを教えられ、初めて罪の赦しと心の平安を体験しました。・・・・・・

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改革ののろし・・ルターはシュタウビッツにはげまされ、26歳で神学博士になり、大学教授として、聖書の講義を始めました。そこで彼の名は次第に人の知るところとなり、多くの学生が集まりました。ところがここに大問題が起こる事となりました。それはその頃、地上における教会の最高権力者として、ローマ法王が支配していたのです。聖書の真理から逸脱して、その堕落した有様はその極みに達していました。法王レオ十世は、「免罪符」というお札を売らせ、これを買った人がお金を箱の中に入れて、チャリンと音がした瞬間に、どんな罪でも許されると宣伝したのです。イエス尊い血による罪の赦しを、お金儲けのために悪用することは恐ろしい事ですから、ルターはこれに反対して、1517年10月31日「九十五ケ条の論題」と書いた紙を貼りだしました。これが有名な宗教改革のための、のろしともなったのです。それで今日プロテスタント教会ではこの日を宗教改革記念日と定めているのです。・・・・・

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我ここに立つ・・ルターが法王に反対したということが、世界中の人々に伝わりましたので、法王も黙っているわけにはいきません。ウォルムス

の会議場にルターを喚問して、反論を取り消す様に迫りました。もしそれに従わなければどんな迫害を受けるかわかりませんが、彼は正しいと信じたことを取り消すことをしませんでした。彼は居並ぶ人たちの前でこう言いました。「私の言ったことは、聖書に書かれた真実であるから決して取り消すことはありません。また良心に背く偽りも言えない。神よ、私はここに立っています。私を助け給え。アーメン」・・・・・・

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宗教改革断行・・命の危険が迫ったルターをザクセンのフリードリヒ賢公が密かに手を打って、ブアルトブルグ城にかくまってくれました。一年後にルターはそこを出て同志と共に目覚ましい教会の改革を行いました。

その中心的なことは、第一に信仰のみ、第二に聖書のみ、第三に、万人祭司、ということでした。こうして腐敗し、堕落したカトリック教会から、聖書の真理に土台を置くプロテスタント教会が誕生し、この新しい息吹は

多くの国々を目覚めさせていきました。・・・・

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ルターの代表的な働きの一つに、原典からのドイツ語訳聖書の翻訳と発行があります。彼の勇気ある戦いは、今日私たちが自由に聖書を読み、また行いによらず神の恵みによってのみ救われるという信仰に立たせることになりました。戦い抜いた彼は、1546年2月、生まれ故郷でその生涯を閉じました。

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 穂ちゃん、あなたにカトリックプロテスタントの違いを教えていなかったね。これを読むとおおよそのことがわかると思います。・・・・・