イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

11月28日(土):天動説と地動説

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16世紀の初頭、コペルニクスという天文学者がいた。彼は地球が宇宙の中心ではないということを発見した。太陽が地球をまわっているのではなく、地球が太陽の周りをまわっていることに気付いたのである。彼は用心深い人であった。この説は、教会の考え方と違っていた。彼はこの発見を30年間秘めていた。1543年、死が近づいたとき彼はその素晴らしい業績である「天体の回転について」を印刷するように、恐れる印刷屋を説得して印刷させた。賢くも彼は間もなく死んだ。が、他の人々がその騒ぎを受け継いだ。・・・・・・

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17世紀の初めに、ガリレイコペルニクスの理論を受け入れ、その転回に対する確信を公に表明した。1616年にローマの宗教裁判所に召喚され、その考えは非難され、判決が下された。「太陽が中心であり、地球の周囲を転回しないという最初の部分は馬鹿げており、不条理な神学上の誤りであり、異端である。・・・第二の部分、地球が中心ではなく、太陽の周りを転回するというのは、不条理であり、哲学的誤りであり、少なくとも神学上の見解からして、まことに信仰に反する」。ガリレイは屈服した。死ぬより妥協する方がやさしかった。そして、長年沈黙を守った。

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今の教皇様は優しい方らしいが、昔は頑固な人もいたね

ところが、新しい教皇が選ばれて、新教皇は、前任者より広い同情と文化を身につけた人との評判があったので、ガリレイは再び自分の理論を公開し始めた。彼の思惑は外れた。今度は、自分の説を変えるか、さもなければ拷問が待っていた。彼は教会に対し、次のように署名した。・・・・

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『私、ガリレイは70歳にして、囚人としてひざまづいており、枢機卿の前において、聖書を目の前にして、それに手をおき、地動説を誤り、異端として放棄し、呪い、嫌悪します』と。彼は変節により死を免れたが、獄から出られなかった。最後には家族の墓に埋葬されることすらなかった。

このようなことは、単にカトリック教会のみではなかった。ルターはこう書いていると言う『人々は成り上がり者の占星家(コペルニクス)に耳を傾けた。彼は天や大空や、太陽や月…ではなく、地球の回転を示そうと努力した。・・・この愚か者は、天文学の全体系をくつがえそうとした。しかし、聖なる聖書は我々に、ヨシュアが、地球ではなく太陽に静止するように命じたと語っている』と。・・・・・・

註:ガリレイの名誉のために一言付け加えておく。彼は署名しても尚、「それでも地球は動いている」とつぶやいたと、逸話が残っている。

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     ☆        ☆         ☆

私たちは、偉大なる先覚者をいたずらにおとしめてはならないが、ただ、彼らとて完全ではありえない。我らが尊敬するルター博士も、奇妙な聖書解釈をしている。はっきり言って聖書には、紛れもなくいくつかの誤りがある。少なくとも誤解を招く記述がある。ヨシュアに時代に太陽が静止した事実はない。それは当時の事件の当事者の主観によることであり、彼らが、そう感じたことに過ぎない。(それは、事件として事実当時の人に受け止められたかも知れないが、それは、神がそのようにみせただけである。)内村鑑三もおかしなことを書いている。イスラエル人ほど平和的民族はないと書いているが、どうも当てにならない。彼らほど世界を騒がせた者たちはいない。聖書の中に、「エステル記」という物語が記されているが、あの書をどのように読み解くか、「鍵」になるような気がする。違う考え方をする人もいるかもしれないが、エステルも、モルデガイも私はあまり好きにはなれない。・・・・・・・『あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか』(伝道者の書7章16節)

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ねぇ、あなた少し気難しいじゃない・・・はい、気をつけます

ハイ、お詫びに小話を一つ。

わたしの家の前を友人が通った。

どさ・・・・・と声をかけた。

ゆさ・・・・・と答えて過ぎていった。

この会話を日本語に翻訳するとこうなる。

どこへ行くのさ?

湯に入りに行って來るのさ。

口の重い田舎の人間は、短い縄文語で話している。

この辺は、昔から、縄文土器のかけらが、一杯あった。