『ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた』(マルコ3章17節)
イエスが弟子たちを任命されたとき、シモンにはペテロ(岩)と言う名をつけられ、ヤコブとヨハネには「雷の子」と名をつけられた。これは綽名のようなものであるが、それぞれの使徒たちの性格をも表している。・・
「雷の子」とは、この二人の兄弟は、気質の激しさからそう綽名されたのであろう。彼らがまだ若かった頃、排他的で、非寛容であった。彼らの性格は非常に激しかった。エルサレムの旅しているとき、彼らを歓迎しなかったサマリアの村を焼き払ってしまおうとした。(ルカ9:53)。・・
熱血漢であったヨハネも、イエスの復活以後変えられたのであろう。エウセビオスは、アレクサンドリアのクレメンスから受けた、ヨハネに関する特徴ある物語を述べている。・・・・・
ヨハネはエペソの近くのある教会で、背の高い、きわめて美貌の一青年を見出した。ヨハネは会衆の責任者である長老に言った「私はその若者を、あなたの監督と保護のもとに委ねます。会衆はその証人になってもらいたい」。長老はその青年を家に引き取り、世話をし教育した。その若者はバプテスマを受け、教会に加わる日がきた。しかし、間もなく彼は悪友たちの仲間に入り、非行の生活を始め、ついには殺害と強盗のたちの首領になってしまった。・・・・・
しばらくして、ヨハネはもどってきた。彼は長老に言った。「あなたと、あなたが責任をもっている教会に対して、私と主が委託したものを返してください」とヨハネは言った。「あぁ、彼は死んでしまった」と長老は答えた。「死んでしまった?」とヨハネは尋ねた。「彼は神に対して死んでしまったのです」と長老は言った。「彼は犯罪を犯して、そのため町にいられなくなり、今は山の中で盗賊になってしまった」・・・・・
すぐにヨハネは山へ向かった。わざと盗賊たちに捕らえられ、盗賊たちはヨハネを首領の前に連れてきた。かつての美しい青年は、ヨハネに気付き
逃げ去ろうとした。老人ヨハネは彼を追って行って言った。「わが子よ
、あなたは父から逃げ去ろうとするのか。私は弱く年老いている。わが子よ、私をあわれんでください。おそれるな、未だあなたのために救いの望みがある。私はあなたのために、主キリストのみ前にたってあげましょう。必要ならば、キリストが私のために死んでくださったように、私はあなたのために死にましょう。足を止め、とどまり、信ぜよ。私をあなたのところにおくられたのはキリストです」と叫んだ。彼はとどまり、武器を捨てて泣いた。彼とヨハネは山を下り、若者は教会とキリストの道に連れ戻された。・・・・
ここに私たちは、ヨハネの雷の子としての、勇敢さと、愛を見るおもいをさせられる。男は「生意気くらいが、丁度いい」。雷の子ヨハネも若い頃はそうであったかも知れないが、晩年のヨハネに関する逸話が残っている。そのヨハネについての最後の言葉を、ヒエロニムスが伝えている。ヨハネが臨終の際、弟子たちは何か最後の言葉を残して欲しいと求めた。「子たちよ、たがいに愛し合いなさい」と言った。ヨハネは何度もそれを繰り返した。そして、言い残すことはそれだけかと弟子たちが尋ねたとき、「それで十分だ。なんとなれば、それが主の戒めだから」と答えたという。これが雷の子、ヨハネに関する情報である。彼は激しい気性と大きな野心と、疑いのない勇気と、最後に柔和な愛の人として、生き、そして愛する主のもとに召されていった。・・・・・
今日は、青森から佐々木先生が来て、礼拝のご奉仕して下さった。
「あげられた青銅の蛇」・・イスラエルはその蛇を仰ぎ見て救われた。
私たちは今、主の十字架を仰ぎ見て救われた。最近、テレビなどで、WHOの紋章として度々あの紋章を目にする。青銅の蛇の故事を知らない人たちには、あの紋章はなかなか理解しにくいだろうなと思う。