イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

1月6日(水):安寿と厨子王

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この物語が学校の教科書に載っていたのか、なかなか忘れがたい物語の一つになっている。特に、最後の場面の、母親が、安寿こいしや、ホーヤレホ、厨子王こいしやホーヤレホ、と鳥追いの唄は、深く胸に残っている。

あらすじ・・・・前の奥羽五十六郡の太守、岩城判官正氏の一族は、讒言により(虚偽の悪行をでっち上げ人を陥れること)筑紫に流された。本国に残された正氏の妻とその二人の子供、姉の安寿と弟の厨子王は、正氏をたずね求めて越後の直江津にたどり着いたとき、人買いの山岡大夫の手にかかり、妻は佐渡二郎の手で佐渡に、姉弟は宮崎という人買いの手で、丹後由良湊の長者である山椒大夫にそれぞれ売り渡された。山椒大夫のもとで姉弟は酷使された。その労働があまりに過酷であったために、ある日、安寿は厨子王に勧めて密かに逃れさせようとした。一度は失敗したが、

姉弟は遂に、逃亡を果たした。二人では逃げおおせないと悟った安寿は、ためらう弟を説得して、単身、京の都へ行くことを強く勧めた。・・

厨子王の去った後、安寿姫は山椒舘の近くの沼に身を投げて亡くなった。

時に、永保2年正月16日、安寿姫16歳、厨子王13歳であったという。

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一方、厨子王は丹後の国分寺に逃げ込んで、そこの寺僧に助けられ、京都七条朱雀の権現堂に送られた。やがて、梅津某の養子となり、遂に一家没落の経緯を朝廷に奏上した。結果、判官氏の罪が赦された上に旧国を与えられ、讒言者の領地は没収されて厨子王に下賜された。・・・・・・

岩城家再興の機運にめぐまれた厨子王は、丹後、越後、佐渡の一部の土地を得たいと願い出てこれが許された。厨子王は、領主となった丹後へ行きかつて、匿ってくれた国分寺の僧侶に礼を言い、山椒大夫とその子三郎を鋸引きの刑に処し、また、越後で山岡大夫を討ち取った。報恩と復讐を果たした厨子王は、生き別れた母の行方を求めて佐渡に尋ね歩くと、老いた

「ごぜ」が鳥追いの唄を唄っているのに巡りあった。・・・・・・

「安寿こいしやホーヤレホー、厨子王こいしやホヤレホー」

厨子王は、この唄を聞いて、これぞ母と知り、走り寄って老女にすがり着いた。うれし涙に、盲いた母の眼も開き、親子は再び抱き合った・・・

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フェースブックで、懐かしい名前を見た。同姓同名の別人ということもあるので、おそる、おそる、確認してみた。あぁ、三浦先生という返事が返って来た。しかも、車で、10分くらいの所に住んでいた。昔の、本荘時代の、人形劇の仲間で、懐かしさしきり。昨年結婚したという。これまためでたい。そのうちご夫婦と会えるのを楽しみにしている・・・・・

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どうりで今朝から目じりが下がっていたわ・・老いると昔がみんな懐かしくなるのさ