『あの男は今どこにいるのだ。ゴルゴタであの事件が起きて以来、あの男はいつでも、どこかでで働いる。今はどこにいるのか。エルサレムの近くのゴルゴタで起こったあのこと、あのありきたりの出来事は、もう済んで過去のものとなった事件なのだろうか。あるいはあの男はいつまでも生き続けて、苦しんでは死に、死んでは生き返り、世界のすみずみまで勢力を広げているのではあるまいか』。イプセンはユリアヌスの言葉としてこう書き記している。・・・・・・・
コンスタンチヌス大帝の、キリスト教寛容令(312年)が出されて、激しい迫害の嵐は一旦収まったが、大帝の甥にあたるユリアヌスがローマ皇帝になった。彼はもう一度昔の迫害をやってみようと試みた。キリスト教を撲滅して、もう一度昔の生活と、昔の神々を復活させようと試みた。彼は、361年にローマ皇帝となり、公認となっていたキリスト教寛容令を反故にし、ローマ帝国本来のギリシャ・ローマの文化伝統を復興させ、皇帝の権威の回復を図ったが、パルテイア遠征の途中、在位わずか3年にして陣中で没した。その在任中に、313年のミラノ勅令によるキリスト教公認を取り消し、帝国による教会や教父に対する支援を打ち切った。・・
そのことによって、ユリアヌスは「背教者ユリアヌス」として歴史に名を残した。しかし、キリスト教を迫害したり、禁止するところまでは行かなかった。古来ローマ帝国の伝統を重視する政策をとった。・・・・
辻邦生と言う人が「背教者ユリアヌス」という長編歴史小説を書いて話題になったが、残念ながら読んではいない。上の記述はユリアヌスの言葉として、記録されているものであるが、当時のキリスト教会の様子が、よく現わされている言葉だと思える。キリスト教会は、300年近い迫害の嵐をものともせず、まさに、神出鬼没の如く、雨後の竹の子のように生まれ、勢力を拡大してきた。「あの男(イエス)はどこにいるのだ」とユリアヌスを驚かせたように、まさに、教会は主イエスと共に、勢力を拡大して行った。これまで、原始教会や、使徒後教父の時代、等。いくつかの殉教者のことを書いてきたが、「背教者ユリアヌス」以後キリスト教会はさらに勢力を拡大して行った。殉教者のおびただしい、犠牲の上に・・・
夜の11時45分。傍らで眠りながら、犬のマルが、クン、クン、と小さな声でなく
あいつきっと夢を見ているんだ。3年前に亡くなった母親の夢でも・・・