イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

1月19日(火):アレルヤ 司祭 岡崎才蔵

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『今日こそ、神が造られた日、この日をともに喜び祝おう』

長年、住みなれた東海地方では、桜の開花が復活祭を彩っていましたが、

ここ東北では一か月おくれととなるので、復活祭には間に合いそうもありません。これまで単純に、春ー復活祭ー桜を結び付けていたのですが、如何に「井戸の中の蛙」であったかを思い知らされています。・・・・・

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桜に関しては、いろいろな詞がありますが、なかでも「三日見ぬ間の桜かな」というのと「三日見ぬまに桜かな」という詞が好きです。「の」と「に」の違いで相反する気持ち(哀しみと期待)をうまく表現しています。あらゆるものが年齢を重ね、老いて、死んでいくという定めにあります。人間の一生もまた例外ではありません。しかし、死は終わりではなく、新しいことの始まりであって欲しいという期待というか希望が、私たちの胸にあることは確かです。もし死でもってすべてが終わるものであるなら、時の流れにおける喜びや感動、苦労や努力といったものはいったい何の意味があるのかと考えさせられてしまいます。・・・・・

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以前に「もし」という題名の映画をみたことがありました。一つの小さな喜びが、二、三分後には事故の原因になるというような悲劇を描いた映画でした。死でもって、すべてが終るのなら、私たちは刹那主義や虚無主義とどう向き合って、戦えばいいのでしょうか(生物学的に永遠にいきるのなら、意味を問うこともないでしょうが、残念ながらそのような状況にはありません)それに、私たちのうちにある、永遠に対する期待や憧れといったものは単なる個人の空想や憧憬ではなく、人間が人間として持っている普遍のもので、それこそが「人間の証」と言えるものです。人間が人間として尊厳を持っているのも、永遠を目指しているからでしょう。・・・

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説教するペテロ

キリスト教はそれを「復活」ということばで保証し、宣言し、その可能性を各人が実現するように励ましています。私たちは、この自分の可能性をどれだけ大切にしているでしょうか。イエス・キリストの血の贖いによって、神に受け入れられる者となったと信じ、その希望を追求しているでしょうか、私たち自身には、自然の権利として、それを要求する資格など

ありません。イエスが手助けしてくださったからこそ、それに値する者とされたのです。他人との比較、自分が他人より才能があるから、財産があるからということで、幸せがあるなら、そのようにして得られた「幸せ感」は長続きしないでしょう。そのような基準の幸せは有頂天になったり、自暴自棄になったりで、常に、他人との競争で揺り動かされてしまいます。むしろ、人の豊かさは心の豊かさであり、イエスの血に値する者たろう、それに相応(ふさわ)しい者であろうとする志(こころざし)の、気高(けだか)さと正比例したものでしょう。

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復活祭は、神様が人をご自分いのちに与らせることをお望みになられたという信仰をあらたにする時です。神様のその愛を信頼することが大切なことであり、それこそが私たちの可能性を大きく開いてくれるものです。復活祭をお祝いしながら、あらためて私たちは天地万物の創造者をあいてにして、生きているのだということに自信を持ちたいと思います。永遠を見つめる人間、イエスの弟子となったということを自覚して、「三日見ぬ間の桜かな」の心境で、人生の旅路を辿って参りたいと思います。

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上記の文章は、名古屋の南山大学の教授をしておられた、司祭様が寄稿して下さったものです。司祭様は秋田県大館市カトリック教会に転任され、そこでお交わりをいただきました。私が、イミタチオ・クリステイという小冊子を発行しておりましたので、その巻頭言として原稿をお願いしたのですが、快く引き受けてくださり、このように平易ながら含蓄の深いお言葉頂きました。現在は、一線を退かれ、ホームでの静かな生活をしておられるご様子です。旧約学の専門家とお聞きしておりましたが。その教えを受ける機会がなかったことが今でも悔やまれます。

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今日は、マチコさんから電話があった。昨年末以来ずうっと案じていたのだが。よい知らせであった。悪性リンパ種が消えているとのこと。癌の方もステージ4から2に下がったとのこと、信じがたい嬉しい結果に、驚きつつ感謝している。どうしてそういう結果になったのか、私たちには分からない。哀れにも、もう幾月、何年持つかなと考えていただけに、唯々、彼女の口癖のように「ハレルヤ」と言うだけである。詳しいことは、主がご存じである。それでよい、チカちゃんも守られ、正男さんも元気。よかった。全てのことは神がご存じである。それでよい。

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あたしその人知ってる・・どうして?・・だっていつも来てくれるもん・・そうかよかったな・・