「へブル人への手紙」の本文の中には、著者の名前が出てこない、やや特殊な内容であるため、著者を推論することも難しいようである。当然初期にはいろいろな人の名前が上がったが、パウロの名前は、早々にけされ、バルナバ説も浮上したが、決定的確信は得られていない。そしてこの問題について、オリゲネスが決定的な回答を示している『誰がへブル人への手紙を書いたかはただ神のみぞ知る』と。・・・・・・・・・
私たちは、ともすると何もかも知りたがる習性がある。知らずにいることが何となく、自分を不安にさせ、つまらぬ徒労に身をやつしてしまう者である。愚かなようでもそれが我々の、ある意味、弱さでもある。・・・・
・・・・・神のみぞ知る・・・・・
3年ほど前、兄が癌になった。ステージ4、医師はもう治療の方法がないと、サジを投げた。薄情にも、慈恵科病院のホスピス病棟に移された。そこは皆、死を待つ人たちのしばしの「憩い」の病棟であった。私たち夫婦は毎週泊まり込みで通い、およそ、4か月が経った。12月に入院して、4月には、兄は、元通りななって、退院した。なぜそういうことになったのか、誰も知らない『ただ神のみぞ知る』であった。・・・・・・
次週は青森から佐々木先生が来られて、メッセージをして下さる予定なので、のんびりしていられる。その先生も、10年ほど前、病院で、肺に影があると言ってレントゲン写真を見せられた。癌の可能性があるので・・
と言われたが、次の受診の時、レントゲンにその影は見られなかったそうである。不思議なこともあるものだと皆思ったが、真相は誰も知らない・・これもまた『ただ神のみぞ知る』ことであった。
先ごろある女性から電話があった。昨年の5月癌で手術をしたが、無数に広がっていて、患部を全部は取り切れなかった。そうこうするうちに、悪性リンパ腫だと宣告された。万事休す、だなと諦めていた。その先ごろの電話で、悪性リンパ腫が消えている。癌もステージ2、と診断されたという。私も、かの娘のために祈ってはいたが、ハテ?。を首を傾げねばならなかった。理解しがたいことがある。それは『神のみぞ知る』ことであった。・・・・・・
これも3年ほど前、ちえこが腹痛がすると言って、市民病院を受診した。
たまたまその医師が、癌に詳しい先生であったが、診察結果、すぐに能代の医師会病院へ行くように指示された。年末の押し迫った忙しい時期であったにもかかわらす。即、手術ということで、二日目にはもう手術をしてくれた。普通では考えられない事だった、私もポカンとしていたが、・
『神のみぞ知る』ことだったのであろう。一命をとりとめた。・・・・
牧師とは因果な商売だ。まだ若い女性を見送らねばならない時もある。昨年3月、誤嚥を起こしたことで、大分体力が消耗していた。元々不治の難病を抱えていた子であったが、極端に衰弱し、医師もそんなに長くはもつまいとのことであったが、もう10月以上になるが、シャカ、シャカと歩いて面会室に顔を出す。誰がこんなに持つと思った者があろうか。それは、『神のみぞ知る』・・・・・
今日は一日雨模様。終日、読書についやした。面倒くさくなって、大幅に読み飛ばして読んだ。今年はバークレーを全部読むつもりだが、この調子だと、4月までに終えそうだ。体力がなくなったのか、面倒になって来た。