イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

2月16日(火):聖書を読むことについて

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イミタチオ・クリステイ「第一巻5章」

Ⅰ・・真理こそ、聖書のなかに求めるべきで、名文を求めるべきではない。聖書はすべて、その記されたときの、その精神でよまるべきである。(ローマ15:4)それゆえ、それより言葉の微妙ないろどりよりも有益なことを、聖書に求めるのでなくてはならない。それで私たちはかざりけのない信心の書を、気高く深遠な書物と同様によむべきである。著者の権威や学問の多少を気にかけず、まじりけのない真理へみちびかれて、読むがよろしい。誰がそういったかを訪ねず、なにが(その書のうちに)いわれているか、その内容に注意すべきだ。・・・・・・

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幼子のように

Ⅱ・・人の世は過ぎ去るが、主の真理は永遠にほろびることがない(詩篇:116;2)人をえり好みせず、いろいろな方法で、神は私たちに話しかけられる。聖書を読むとき、すらっと読み過ごすべきところで、よく理解し論じようとするため、好奇心に妨げられことがよくある。もしあなたが進歩をそこに求めるなら、謙遜に、すなおに、忠実に書物に接すべきである。けして学問の名声を得ようと望んではならない。すすんでたずねなさい。そして、黙って聖人たちの言葉を聴くがよろしい。また、年長者たちの話を不快に思ってはいけない。彼らがそうした話をするのは、理由なしにするのではないから。・・・・・

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今日は一日荒れ模様。マルの散歩も10分で切り上げ。後は一日中籠りっぱなし。昨日福原兄を訪問。思いの他元気そうで安心した。

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トマスおじさんいろいろうるさいのね・・500年前の人だからね、現代の間尺と会わない部分もある・・そうねぇ・・でも忘れていけないこともある。・・あたしノー・サンキュウ・・それが現代っ子