『狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです』マタイの福音書7章13節~14節。
・・・・人生の分岐点・・・・・・
人生には劇的な要素があり、よく言われるように、「人の一生は分岐点において決定される」のである。人生は静止することがなく、一つ一つの行動は我々に選択を迫り、それを回避することをゆるさない。我々はいつでも、この道かあの道かを選び取らなければならない立場におかれている。歴史上偉大な人物の最高の働きは、人々にこの不可避の決断を迫ることであった。・・・・・・・・・
モーセは、その死を前にして、「見よ、わたしはきょう、命とさいわい、および死と災いをあなた前においた・・・あなたは命を選ばなければならない。そうすればあなたの子孫は生きながらえることができるであろう(申命記30;15.~19)・・・・・
ヨシュアは、イスラエルの民族の指導者としての生涯をおえるにあたって、同じ選択を
人々に迫っている「あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい、(ヨシュア24;15)・・・・・・・・・・
エレミヤは語りかける神の声を聞いた。「あなたはまたこの民に言いなさい、『主はこう仰せられる。見よ、わたしは命の道と死の道とをあなたがたの前に置く』」エレミヤ書21章8.
誰にも道は開かれている
この道、あの道、多くの道が
高い魂は高い道を歩み
低い魂は低い道をたどる
その間の曇った平たい道を
その他の人がゆききしている
誰にも道は開かれている
高い道と低い道が
一人一人がえらびとる
魂が歩むその道を
イエスはこの箇所で、この決断を迫られる。広く容易な道がある。多くの人その道を進むが、その終局は滅亡である。狭くて困難な道がある。その道を選ぶ者は少ないが、それは生命に続いている。(w・バークレー)
【私はこの言葉を、力を尽くして狭き門より入れ。と記憶していた、まだ聖書を読みはじめる前から何故か、この言葉を知っていたのが不思議でならない。アンドレ・ジイドに狭き門をいう小説があるが、多分、その本を読む前からのことであるように思う、「狭き門」私たちにいつもためらいや、臆病さを覚えさせる。