イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

5月29日(土):聖霊をけがす者

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『まことに、あなたがたに告げます。人は犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それは、それはみな赦していただけます、しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます』(マルコの福音書3章28~28)。

エスのお言葉の中でも難解な言葉である。しばらく考え込まなければ理解できない言葉でもある。「神をけがすことを言っても赦されるのに、何故、聖霊をけがした場合はゆるされないのか。ここが引っかかるのである。

いろいろな解説や、説教をこれまで聞いてきたが、これまで納得できる解説を聞いたことも、読んだこともない。因みにw・バクレーの一節を紹介してみるとこう書かれている。

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『ゆるしには唯一の条件がある。それは後悔である。しかし、もし人が、神の導きを繰り返して拒否したために、善を見てもそれを認識する能力を失っていたり、また、もし、彼の道徳的な価値判断が、悪が善に、善が悪にと逆になっていたとしたら、イエスに出会ってときにも、彼には罪の自覚がなく、悔い改めることができず,それ故、決して許されることができない、それが聖霊に対する罪である』・・・・・・

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以上がおよそ、一般的に認められているこの聖句に関する、解釈であるだろうし、間違いのないことだろうを思う。・・・・・・・

しかし、わたしはもう少し、イエスは生々しいことを語っておられるような気がする。この場面は22節から続けて読む必要がある。エルサレムから下って来た律法学者たちのイエスに対する非難に応えてイエスはこう言われたのである。多分パリサイ人もいたことであろう。彼らは、わざわざエルサレムから来ていたにもかかわらず、イエスのいろいろな不思議な、そして癒しの業や、言葉は、彼らの目にも、耳にも入っていなかった。いや、その事実を認識しながら、受け入れなかった。彼らの心の内で善が悪に変えられてしまったのである。それは意図的に悪を行うことであり、イエスはこれをけして、容認されない。・・・・・・・・

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既にこのブログで、5月23日に「ペンテコステの日に」と題して述べていることであるが、その日、使徒たちに聖霊が臨んだ。この日からこの瞬間から聖霊は初代教会を支配する実在となった。繰り返しになるが、その例を「使徒の働き」からみてみよう。

①・・御霊はピリポを導いてエチオピアの高官に・・・(8:29)

②・・御霊はペテロをコルネリオの送った密使・・・(10:29)

③・・御霊は、異邦人に福音を伝えるという重要な役目(13:24)

④・・御霊は、エルサレム会議を指導した(15:28)

等々初代教会は御霊の導きなしに、大切な決定を下したことはなかったし、重要な段階に踏み出すこともなかった。また、ステパノ、バルナバパウロなど聖霊に満たされた人たちでもあった。

使徒の働き」と言われる物語は、「聖霊行伝」とも呼ばれていることは周知のとおりである。「使徒行伝」の前半13章までに、聖霊についての言及している箇所が40以上ある。初代教会はまさに聖霊に満たされた教会であった。・・・・・・

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創世記のアブラハムの時代以来、主なる神が、歴史に強力に介入した時代をいくつか見ることができる。アブラハム、イサク、ヤコブの時代。出エジプトヨシュアの時代。ダビデの時代。エルサレム陥落と捕囚に時代、

預言者たちの時代、を見ることができる。彼らもまた聖霊によって、働いた者たちである。・・・・・・

主イエスは、弟子たちが聖霊の助けなしに、宣教の業をすすめることの出来ないことを知っておられた。それゆえ、復活のイエスは「聖霊を受けなさい」(ヨハネ20:22)と言われたのである。イエスの贖いの業は完了した。『さぁ、行きなさい、ペテロよもうお前は以前のペテロではない。私は去って行くが聖霊があなたと共にいる』・・・・・・

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『わたしはこの宣教の大事業を阻む者は決して赦さない』。それが父なる神の最大の目的である。これを阻む者こそ、聖霊をけがす者たちであり、サタンに与するである。・・・・

初代教会、使徒後教父の時代からキリスト教が公認される迄、多くの殉教者を出した。不条理なことにも思えるが、彼らが死をもって主の復活をを宣べ伝えなければ、キリスト教が全世界に広まることはなかった。・・

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ローマの兵たちが改宗しない、キイリスト者の群れを、氷の湖に放りこんだ。「改宗する者は、出てこい、すぐに助けてやる」と叫んだ。

堪え切れない一人の信者が湖を出てきた。彼はローマ兵に手厚く介護された。その時、ローマの一人の兵士が、やにわに鎧や剣を捨てて、湖に飛び込んでいった。彼は湖に浸かって凍えている者たちに言った。

「兄弟たちよ!。許してくれ、私はキリスト者なのです、それを今まで隠してきた。だが、今、あの臆病な脱落者を見て、私がそれに代わらねばならないと悟った、ともに主のために死んでいこう」。

こうした者たちを聖霊が励まし、キリスト・イエスが何者であるかを私たちに伝えてきたのである。私たちはこのキリスト教の歴史と遺産を大切にしていくことが必要である。聖書の字面だけでは、み言葉を正しく、そして深く理解することは出来ない。「聖書はどんなに高く評価しても、被造物、人格をあかしするものでしかない」。(聖書注解:みくに書店)。

ルターが「聖書のみ」と言うと、聖書しか読まない牧師たちがいると、語っている。最終的権威は聖書にあるとしても、それだけで十分聖書が理解できるわけではないのである。・・・・・・

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ヒゼキヤ王の時代に、エルサレムはアッシリヤ軍に包囲され、陥落寸前であった。アモツの子イザヤは祈り、奇跡的に陥落はまぬがれ、アッシリヤの王、セナケリブは敗退を余儀なくされた。そのあたりのことをこう記されている。

『すると、主は一人の御使いを遣わし、アッシリヤの王の陣営にいたすべて勇士を・・・全滅させた。そこで彼は恥じて国へ帰り、神の宮に入ったが、自分の身から出た子どもたちが、その所で、彼を剣にかけて殺した』

(Ⅱ歴代誌32章21節)という出来事が記されているが、いかにもエルサレムを攻略しようとしたセナケリブがユダヤ人の神の罰を受けたような記述になっているが、アッシリヤの王セナケリブが、エルサレム攻略に失敗してから、彼が殺害される迄には歴史的資料では、25年の後のことである。わずか一節の記述の中に25年という歳月が含まれているのである。

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聖書にはそうした記述が幾つもある。だから聖書は信頼できないと言うつもりはない。そうした歴史的背景を知ることなしには、聖書を正しく理解することはむつかしいと言いたいのである。霊的に聖書を読みなさいと言うのは単純にみことばを信じることとは違う。それは尽きることのないみことばへの挑戦でもある。W・バークレーが常に指摘するように、イエスについて知っている事と、イエスを知っているというのは大きな違いがある。同じく、聖霊を宿している人は、「愛」を心の内に秘めている人である。人を憎んでいる限り、その人は聖霊を宿しておらず、イエスの御目のうちにはないのだろう。これは、紛れもない事実である。その事実を知っているのは、全能なる神と、その人だけである。聖霊を宿すとはすなわち、その人のうちに神の「愛」があることである。

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朝のウォーキングを続けている。今日は小雨模様だが晴れそうなので出かけてみたが、雨足が強くなって途中で引き返した。ツツジが終り、桜の実がついてきた。桑の実ももう少し、やがて熟すだろう。

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