イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

8月11日(水):キリストの名の故に

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ラウレンティウスは、225年、スペインのウエスカで生まれ、信仰深い両親のもとで育った。当時スペインは、キリスト教がまだ禁じられていた時代であった。彼は勉学の後、ローマ七助祭の主席に挙げられ、ローマ教皇シクストゥスⅡ世の執事として、教会財産の管理と、貧しい人々への施しを担当していた。258年のある日、皇帝により、教皇とラウレンティウス以外の執事が逮捕された。教皇は彼に、すぐに財産を処分して、貧しい人々に施すことを命じ、ラウレンティウス自身もじきに逮捕されるであろうと告げる。そして8月6日教皇は斬首の刑に処せられた。ほどなくしてラウレンティウスも逮捕され、教会財産を渡すように言われたが、8月10日に、困窮している人々、体の不自由な人々を連れて来て、彼らこそ教会の財産であると主張した。・・・・・

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殉教の際、彼は生きながら熱した鉄格子の上で火あぶりにされたが、数分後に、兵士に向かって「こちらは焼けたから、もうひっくり返してもよい」と伝えたといわれている。また、その殉教のさまに感銘を受けた多くの人々が、改宗したとも言われている。・・・・・・・

このラウレンティウスの逸話は、幾度かこのブログでも紹介してきたが、

私たちの信仰は、そうした偉大な殉教者たちの「遺産」の上になりなっているように思う、彼らが命を懸けても守り続けて物語は、「神を宿す者」イグナチオス。「86歳の殉教者」「カタコムの墓誌」「ユダヤ人の殉教」

等々、ローマの堕落した世界の中で、彼らの殉教は燦然と輝いている。

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『また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます』マタイの福音書10章22節。

彼らは刑事上の裁きを受けたのではなかった。ただ、ただ、キリストの名の故の処罰であった。そのことは、当時の総督と皇帝の書簡のうちに記されている。

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