・・・・重吉一家が柏に住んでいたときのことである・・・・
野原のはずれの松林近くを歩いているときであった。一足先に林の中に踏み込んで行った重吉が、ひどくうろたえた様子で戻ってきた。妻のとみ子がいぶかしがる間もなく、立ちふさがった重吉は言うのだった。『僕は、いま神さまを見た』(八木重吉 詩と生涯と信仰 関茂著 信教出版)
天の御国、父なる神のもとおられた者でなければ、語れないという事柄を、イエス様はその一端を語られたと思う。八木重吉は、神を見たと言った。おそらく本当だろうと思う。彼の詩はそれを匂わせる。
理窟は
いちばん低い真理だ
理窟がなくてもいい位もえよう。
かなしみは しずかに たまってくる
しみじみと そして なみなみと
たまりにたまってくる わたしの かなしみは
ひそかに だがつよく 透きとおってゆく
この詩を読んで、自分は一行付け加えた
『透きとおってゆくかなしみとは、悲しみの極み、その一押し向こうが御国なのである』と。