イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

8月22日(日):私はいま神を見た

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・・・・重吉一家が柏に住んでいたときのことである・・・・

野原のはずれの松林近くを歩いているときであった。一足先に林の中に踏み込んで行った重吉が、ひどくうろたえた様子で戻ってきた。妻のとみ子がいぶかしがる間もなく、立ちふさがった重吉は言うのだった。『僕は、いま神さまを見た』(八木重吉 詩と生涯と信仰 関茂著 信教出版)

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天の御国、父なる神のもとおられた者でなければ、語れないという事柄を、イエス様はその一端を語られたと思う。八木重吉は、神を見たと言った。おそらく本当だろうと思う。彼の詩はそれを匂わせる。

 

理窟は

いちばん低い真理だ

理窟がなくてもいい位もえよう。

 

かなしみは しずかに たまってくる

しみじみと そして なみなみと

たまりにたまってくる わたしの かなしみは

ひそかに だがつよく 透きとおってゆく

 

この詩を読んで、自分は一行付け加えた

『透きとおってゆくかなしみとは、悲しみの極み、その一押し向こうが御国なのである』と。

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