イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

8月23日(月):希望の一滴 中村哲

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随分前になるが、9歳の次男が悪性の脳腫瘍に罹り、余命一年と宣告された。折から現地は空前の大干ばつで、栄養失調で弱った子供たちが次々と感染症で倒れていた。それを必死で訴えていた矢先である、・・・

忘れもしない2001年夏、帰宅したとき、「左手が動かない」との訴えを初めて子供から聞いた。左上肢だけの単マヒで、当初は肩関節の脱臼かと思った。整形外科では診断がつかなかったので、自分で診察すると、脳内病変が疑われた。当時勤務していた脳外科の病院で検査したところ、右頭頂葉の皮質に病変を認め、間違いないと判断された。専門が脳神経であることが苦痛であった。(この種の脳腫瘍は子供にまれであるが当時の2年生存率はゼロとされていた)末期の状態はわかりきっていた。病院では死は隠される。本人の姿ではなくモニターの画面を囲み、心肺停止を待つ臨終は受け入れがたい。なるべく自宅に置き、家族で看病した。・・・・

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そのことを伝え聞いたペシャワールPMS病院の事務長が、後生大事にしていた小瓶に詰めた「ザムザムの水」を届けてくれた。メッカ巡礼の際持ち帰り大事に保存していたものだ。彼は陸軍の退役少佐であった。軍人でありながら深い信仰の持ち主で、額にたこがあった。(礼拝の際、額を地面に擦り付けるので、これは相当な熱心さをあらわす)曲がったことが嫌いな性格で、職員に対しても厳格だったので口の悪い者は「原理主義者」

などと陰口をたたくほどであった。・・・・・・・・

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『聖水』

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おそらく普段ならば「苦しい時の神頼み」とか、「縁起担ぎの御利益」

くらいにしか考えなかったであろう。だが、この時ばかりは、そんな他人事のような言葉の方が白々しく思えた。対照的に、退役少佐の贈り物には、特別の響きがあった。神癒があり得るかとかという神がかり的な話ではない。彼は他人の子供のために、心魂を込めて奇跡を祈ったのだ。その心情自体尊く、理屈はなかった。当方も一縷の望みを託して、毎日数滴づつジュースに入れて与え、回復を待った。・・・・・

医師生活の最後の奉公と見て手を尽くしたが、次男は宣告された通りに死んだ。享年十歳であった。ザムザムの水の効き目がなかったではないかと、のちに心無い冗談を言う者もいたが、胸中にの残る暖かい余韻を忘れることはできない。我々の持つ世界観、いわゆる「科学的常識」はしばしば味気ない理屈と計算で構成される。水を届けた者のまごころ が嬉しかっただけではない。あの水は紛れもなく「聖水」であったと思っている。さかしい理屈の世界から解放され、その奥に厳然とある暖かい摂理を垣間見られたことに、今でも感謝している。・・・・・・・

今日も川のほとりで眺める水は、天空を映してあくまでも青く、真っ白に砕ける水しぶきが凛として、とりとめもなく何かを語る。

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今日図書館で、この本と、ヘッセ、遠藤周作の本を借りてきた。中村哲医師の本を読んで、その一部を紹介した。人それぞれに悲しみを抱えているものだなと、つくづく感じた、昔、飛行隊にいた時、朗らかなパイロットがいた。しかし、漏れ聞いた話では、彼は、重度の障害児を抱えているとのことであった。私は以来彼への敬礼の仕方を変えた。

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