イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

8月28日(土):夏の母の思い出

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今年も、暑い暑い 岐阜の夏がやってきた。

生前、母がよく言っていた。「まったく、岐阜の夏は日本一暑い。どうしようもないね!」と。

岐阜で生まれ岐阜で育った私には、そんな母の苦しみはすべて理解することはできなかった。「夏とは、こんなもんだ」という感覚があったからだ。しかし本州の最北、青森出身の母にとっては一生涯逃れることの出来ない苦しみだったと、今さらながらしみじみ思う。・・・・

不機嫌な母の横顔を見て、天候のことだからどうしようもないとわかりつつ、何とか母の機嫌が直らないかと、私は内心気を使っていた。しかし、そんな私をよそに、母の暑さに対するイラ立は容易に回復することはなく、何となく夏は物悲しい気持ちに沈んだものだった。・・・・・

しかし、こんな母がふいに上機嫌になるときがあった。どうしてなのか、理由がさっぱり分からない。ただ、母は部屋をほうきで掃きながら、皿を洗いながら、何かの拍子に突然歌をうたい出すのだった。ほとんど100%

聖歌や賛美歌、教会関係の歌である。それも小声で適当ににではなく、独特の澄んだ高い声で、きっちりと最初から最後まで歌うのである。歌詞をかみ締める様に、首を少し揺らしながら、心から楽しそうに歌うのだった。母の歌声が家に響くと、家中が一気に穏やかな空気に包まれたものだった。気のせいか暑さも消え、側にいる家族皆耳をすませてその歌を聞いていたようだった。私はそんな母の歌声が止むと、「あぁ、もう終わりか」とがっかりしたものだった。・・・・・

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(こんな風に、岐阜の夏は暑くて辛い季節だったからこそ、その中に響く母の歌声は何にも代えがたい、生活の潤いだった)

2006年3月、天に召される直前まで、母は長浜の病院の病室で、本当によく歌った。病人というのが嘘のように、あの頃と変わらない歌声で。そして同じように誰に聞かせるわけでもなく、窓の外を見つめて、穏やかな顔で、一曲、一曲、きちんと歌うのだった。一つ歌うとまた一つ、その姿は、まるで小さなコンサートのようだった。観客は私一人。私はそんな母の歌声を聴けることの幸せを、小さな病室でじっと感じていた。

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そんな母のことを想って、ニューヨーク、リハビリセンターの壁にかかれた「患者の詩」を自分なりに変えて作ってみた。人生の最期を病気と戦いながら、幸福に包まれ、賛美しながら召された母を感じていただければ幸いです。

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『小鳥の歌』

人々を神に導くために 伝道者の足を求めたのに

台所で口ずさむ 賛美の声を いただいた

 

もっと訪問伝道したくて 時間を求めてのに

子どもたちを養うために

料理 洗濯 縫物をする手を さずかった

 

幸せになりたくて 人並な生活を求めたのに

与えられたもので工夫する知恵を 授かった

 

人生の終焉

神の働きのために 健康を求めたのに

人々のために祈るようにと

病床での日々を 授かった

 

いつか故郷で暮らしたいと

なつかしい山里を夢に描いていたのに

身近な人々の あたたかな思いやりを 授かった

 

求めたものは一つも手にしなかったが

願いはすべて聞き届けられた

 

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず

神は私の心をつくりかえ

私が最も必要としていた

愛で満ち足りた人生をくださった

 

私は神から 小さな翼をいただいて 天にはばたきます

この世のあらゆる思い煩いを捨てて

自由で光に満ちた 神の住まいに まっすぐ 旅立ちます

 

そして私は 声高らかに賛美します

私の人生は あらゆる人々の中で

最も豊かに祝福されていましたと。

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