イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

9月2日(木):老いた鍛冶屋

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一人の老いた鍛冶屋が、大きな町の真ん中にある店で働いていた。人々は「あの人は大きな鎖を作る時は、慎重すぎて馬鹿正直なくらいだよ」とうわさしていたが、彼はそんなことなど気にかけず、一段と精魂込めて働いた。鎖の輪は一つ一つ丁寧に作られ、ついに鎖は完成し、運ばれていった。やがてその鎖は、大洋を航海する大きな船のデッキに、ぐるぐる巻きにして置かれた。それは何の役にも立たないように思われた。というのは、大きな錨は使われることがなく、そこに放置されたままだった。・

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ある晩のこと、ものすごい風が吹き、嵐で船は大きな岩の上に放り出されそうになった。錨が次々と投げ込まれたが、何の役にも立たず、糸のように切れてしまった。遂に非常用の錨が投げ込まれることになり、あの大きな錨が解かれて、海に投げ込まれた。ピンと張るまでのばされた。その鎖が恐ろしいほどの嵐に耐えられるかどうか、みんな見守っていた。船の重みで鎖が震え、荒れ狂う嵐の中でヒュー、ヒューと鳴った。何千人もの命と多くの荷物を積んでいる船の安全は、今やこの一本の鎖にかかっていた。あの年老いた鍛冶屋が、この鎖の一つでもおろそかに作っていたら、今頃どうなっていただろう。しかし、彼の鎖は一つ一つをどの部分も正直と真実と最大の力を込めて作りまたテストしていた。それで、鎖は嵐が止んで朝が来るまで船を安全に保っていることが出来、船にいる人たちは輝く朝を迎えたのである。・・・・・・

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初代教会は、イエス・キリストの再臨がまじかであるという期待をもっていた。それでヤコブは、耐え忍んで待つべであると勧告している。この待望の期間中、キリスト者はしっかりと信仰に結びついていなければならない。不当に苦しむキリスト者への慰めも明らかにされる。

『こういうわけですから、兄弟たち。主が来られるまで時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです』(ヤコブ書5章7節8節)

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