イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

9月4日(土):兄弟愛を持ちなさい

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『兄弟愛をいつも持っていなさい。旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい』(へブル人への手紙13章1節~3節)

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初代教会は、この兄弟愛がしばしば踏みにじられる状態にあった。初代教会の人たちにとっては、信仰は真剣なものであったが、このことは、ある意味で危険でもあった。初代教会は外側からの力に脅かされてながら生き抜こうと必死の努力を続けていたが、ここに二つの危険があった。

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第一は異端者刈である。異端者や背信者を見つけ出して取り除こうとした。第二は信仰が弱くてつまづく人たちに対して理解も同情もせず、過酷になる傾向がある。敵意に満ちた異教徒の中にあって、ひるまず、神に対する忠誠を持ち続けようとする場合、何かの危険に対して、激しく、厳しくのぞむ傾向がが見られる。信仰を純粋に保つのはまことに立派であるが、、そのために他の人を非難し、詮索し、糾弾し、同情心を欠くことになると兄弟愛が失われる。その時の自分は、以前改めようとした時よりも悪い状態が生まれる。我々は、何とかして、信仰の熱心さと、信仰を失った人に対する思いやりと二つながら持つように心がけたいものである。・・・・・・

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旅人をもてなす親切。

古代社会では旅人に対する親切が尊ばれた。ユダヤ人は「この世にあってよい結果をもたらし、あの世にあって祝福を受けるものが六つある」と言い。その最初に「旅人をもてなし、病人を見舞うこと」を挙げている。

昔は「客人関係」と呼ばれる良い制度があって、家族は日頃あまり親しく付き合っていなくても、必要な場合には互いに宿を貸すという申し合わせがあった。帰る家がない奴隷、巡回する説教者、預言者などが旅に出ていたばかりでなく、仕事の関係で旅へ出ていた信者もいたが、宿賃は高い上に、いかがわしい宿屋があるので宿に困っていた。その他、一人だけで助ける者もいない苦しい信者もいたに違いない。キリスト教は、今も昔も、人を暖かく迎える宗教である。・・・・・

著者は、ここに「気づかないで御使いたちをもてなした」人たちがいると書いているが、おそらく、アブラハムとサラのもとに来て子供の誕生を告げた天使のことや(創世記18章:1~)同じくマノアに告げた天使のことをさしているのだろう(士師記13章2~)

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アグリッパはかつてユダヤ戦争に加担し、ローマ帝国と戦い捕虜となった。その時、一杯の水を差しだしてくれた人がいた。後にローマの高官となった彼は、かつて、いっぱいの水を恵んでくれた者を探し出し、厚遇したという逸話が残っている、

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