イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

9月6日(月):キリストによろしく

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救い主のみ名をほめたたえます

内外の教会を遍歴した五十年余の中で、いつもわたしのこころにひびいていたことがあります。「キリストによろしく」との説教を最後に隠退された、今はなき老牧師のことです。これからも多分同じでしょう。人が出合い、また別れる際に、知り合う相手のあの人、この人によろしくと言い合うでしょう。今はいない人に、そのようなことを言うはずもありません。ただ、今主に生かされている人々同士ではどうでしょう。たとえば、わたしはあの牧師、この先輩信徒の方に世話になったと言う言葉をよく耳にすることがあるものです。言われて気分を害することもないでしょう。ただ、主に、生かされ、養われているかぎりは、相手が誰であろうが声に出さずとも、それこそキリストにお世話になった、主によっていかされただけだと、互いに感謝すべきではないでしょうか。キリスト者とて誰も自分の知恵や力で世の光、地の塩の役割を果たしていけるわけではありません。生き働かれる十字架と復活の主のめぐみだけによります。そうなると別れるにしても会うにしてもキリストに在る者の生活には、主によろしくと言わしめる心があふれ、流れていたいものです。・・・・・

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七に縁があるなどと、少々縁をかつぐわけではありませんが、わたしの生まれたのは昭和7年、7月27日、秋田の八郎潟教会が任地の最後で、7回目。何か不思議な豊かさを感じていました。その理由には、三浦ご夫妻との出会いがあったからです。・・・・

イミタチオ・クリステイの表題で、三浦さんが証集を出されている事には大きな喜びがあります。主につらなることは、まことにもったいないことですが、ちいさなキリストにならせていただくと言うことでしょう。当然ながら誰しもたじろがざるを得ません。

ところが、それは我々の謙遜などと言うものではありません。主ご自身の招きであり派遣のめぐみ以外の何ものでもないからです。・・・・・

主のみ名によって祈り、み声を聴くたびごとに豊かな霊のときめきを心にひびかせ、互いにキリストによろしくと語り、励まし合いたいものです。

主にある恵みと平安を祈ります。(2008年4月30日記)

日本キリスト教団八郎潟教会前牧師 深瀬 忠

上記の文章は、私が最初に発行した小冊子、イミタチオ・クリステイに、巻頭言として書いていただいたものです。「キリストによろしく」との言葉は、多分、先生の父上の退任のおりの言葉ではなかったかと感じてきました。

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