イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

9月10日(金):父の銀時計

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「最近、歳をとったせいか、やたらに昔のことが思い出してしまう。そうかな?」というと、妻が「そうだ」という。聞かなければよかった。・・

そんな会話をしながら、ふと、また昔のことを思い出してしまった。私の父もよく昔の話をしていたな。と。・・・・・・

父は農家の次男坊で、自立しなければならなかった。そこで、「養蚕学校」へ入り、養蚕の指導員になった。戦前のことで養蚕の盛んな時代であった。この地方では、副業として多くの農家で、蚕(かいこ)を飼っていた。その農家の一軒一軒を回って、指導していたので、「ととこの先生」と言われていた。(ととこ:かいこのこと)。私が父の後について歩くと、養蚕農家の人は、小学生の私にまで気を使って「ととこの先生の、おんちゃま(おぼっちゃん)と呼ぶ始末であった。・・・・・・

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さて、その父の「繰り言は」養蚕学校で、卒業生総代になれなかったことである。卒業時の総合点数が、一点違いで、首席卒業者が県知事から贈られる、金時計をのがし、銀時計に甘んじたことである。その数十年前の出来事を、あぁ、子供の頃から何度聞かされたことか。・・・・・・

いつか、私の堪忍袋の緒が切れた。「おやじ、もうその話は何度も聞いたよ。いい加減にしてくれ」。父は黙ってしまった。以来、父は昔の話はしなくなった。アメリカで戦後ナイロンが発明される迄、生糸は日本の重要産業であった。父の羽振りもよかった。普通の人の数倍の収入があり、大半は酒に消えた。

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それにしても随分、ひどいことを父に言ったなと、悔やまれる。やはり、人はその年齢に達しなけらば、分からないことがあるものだなと、つくづく、思い知らされる。・・・・・・

三浦綾子のご主人が「天国へ行ったら、綾子に謝らなければいけないことがある」とどこかで語っていた。私の父は、洗礼を受けて召された。さて、さて、昔の私の失言も、父に謝らねばなるまい。

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