イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

9月20日(月):我が名を呼べ

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後日談から始める。4月14日、午後、春の陽だまりの中、トット(鶏)を呼んで二つ割のリンゴを、手にのせて食べさせていた。それを見ていた犬のポンが「父さん何しているの・・・?」と言いたげに寄ってきた。果実類は酸味があるので犬は食べないことはわかっていたが、鼻先に差し出すとペロリと舐めた。それからちょっと小首をかしげる仕草をしてから、ガブリとリンゴにかぶりつき食べ始めたのである。驚いたのは私だけではなかった。ご馳走を横取りされたトットは怒って、コ、コ、コ、コ、・・・・と食ってかかったが、所詮かなう相手ではない。ポンの「ワン」との一声で退散させられた。いつもは彼らは仲良しなのだが、このリンゴだけは違っていた。トットなんかに取られてなるものかと、独り占めして食べているのである。このリンゴは特別で「犬さえ食べる甘いリンゴ」なのである。

春の日だまりの中、裏の畑で、トットを呼び寄せ、もう半分のリンゴを与えながら、この甘いリンゴを精魂込めてつくり出した「和重」(かづしげ)のことを想っていた。・・・・・・・

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彼は2月22日、主に召された。46歳であった。・・・・・・

1月7日、ちえ子と私は、近くの温泉に来たついでにとさりげなくつくろいながら、彼を見舞った。和重はちえ子の実兄の長男で、私には義理ではあるが甥にあたる。彼は一年前に発病したが、自分では完治すると思っていたようである。しかし、家族の者には余命いくばくもないと医師から知らされていた。私たちはその日、2時間近く話し合うことが出来た。彼は言っていた。「俺のリンゴはJAヘ売ってもたいした価はつかないが、業者が高く買ってくれる」と。「品種改良したものか」と聞くと「土壌を変えた」と言っていた。ちえ子は聖書の話をした。いつもとは何処か違っていた。話を遮ることなく、静かにきいていたのが印象的だった。

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2月22日、和重の母親から、もう長くはないと連絡が入った。私たちはすぐに病院へ向かった。病室に入ると私はまず肝をつぶした。和重の顔がまるでツタンカーメンの黄金のマスクをかぶったように、黄疸が来ていた。目も絵具でも塗ったように黄色くなっていた。付き添いの人に頼むと三人だけにしてくれた。今晩死んでも不思議がないような病人が起きると言い出してベットに座った。おかしな事に、ゆで卵が食べたい、ミカンを食べたい、牛乳を飲みたい、ヤクルト、ヤクルト・・・などと言い出し、思わず笑ってしまった。この時も主は、私たちに2時間以上の時間を与えて下さった。やがて疲れたきたと見え、横になった。「三浦が祈るので一緒に祈ろう」とち子が言った。私は、短くみことばを語った。「和重よ、お前は間もなく死ぬ。と引導を渡した。しかしそれは天国への引導であった。 「和重よ、おばぁちゃんは天国へ行った。おまえもそこへ行かなければならないよ。私は一つの事だけ言う。『主は言われる、「我が名を呼べ」』主よ、主よと呼ぶだけでいいんだよ。主は必ずあなたに応えて下さる。和重、お前が天国に行かずにどうする。瞳(奥さん)愛娘、陽子、紀香、成美、はどこへ行っていいか分からなくなるじゃないか。 ちえ子が彼の左手、私が右の手を取って祈っていた。ふっと、彼の手が私から離れた。一瞬ダメかなと思った。しかし、次の瞬間、彼の右の手がまさぐり求めるように伸びて来て、再び、私の手を握りしめた。それはまさしく、主の憐れみと、祝福の表れであった。 《彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう》詩篇91:15 2月22日、夜、彼は召された。翌日、私たちは彼の安らかな「寝顔」を見た。うすく閉じた目 軽く合わされた口元、まるで微笑んでいるかのようであった。私は、いまだかつて、このような安らかな死者を見たことがない。弔問客の多く人も同じように見、また、言った。

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2月27日、和重の葬儀の日、津軽平野は荒れ模様であった、先の見えない地吹雪が墓所を舞った。そこには十字架の彫られた墓石があった。瞳さんが、肩をふるわせ、泣きながら遺骨を手づかみではかに収めていた。細い雪道をちえ子が泣きやまぬ瞳さんの肩を抱いて、帰った。私はそのうしろを10歳になったばかりの陽子たちと歩いていた。誰かが教えたのだろう。陽子がこう言った。「お父さんがいなくなったから。お母さんがお父さんの代わりをして、陽子はお母さんの代わりをするの」「そうだね陽子はえらいね」。 それからひとつき、私たちは訪ねて行った時、「陽子ね、お母さんの代わりしている?」 この娘は覚えていた「うん、でもほんの少しだけ」 私は和重と約束していた。この娘たちを天国へ導くと。この約束は主が為して下さると信じている。川村牧師も「この娘たちのために祈る」と言って下さった。 《主の御名は方べきかな》2008年4月。イミタチより。

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陽子は現在、海上保安官になっていいる:2021年9月20日追記。