イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

9月24日(金):救いの証 ちえ子

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私が初めて聖書にふれたのは、小学4年生の時でした。その時高校生だった姉が一枚のトラクトを後門の前で受け取ったというのです。それから姉は毎週教会に通うようになり、間もなくイエス様を信じるようにようになりました。詳しくはわからないのですが、洗礼を受ける前に、母は、それだけはやめて欲しいと、涙していたのは覚えています。それでも姉は洗礼を受け、さらに夜になると仕事で疲れている母の枕元で聖書を語るのですが、5分も経たないうちに母のイビキが聞こえる!!!。「聞いてるの?・・・」「聞いているよ・・・・・」その繰り返しでした。・・・

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結局、母は殆ど聖書の話を聞くことはありませんでした。それで今度は姉は、私に聖書の話を語り始めました。「人間はみな罪人で、イエス様を信じなければ神の国、天国へ入ることはできない」。私は自分が罪人呼ばわりされたことに腹を立て、耳を塞いで聖書の話に耳を傾けることはありませんでした。・・・・・

「自分には罪がない、信じる必要はない、神様がいるのなら見せて欲しい、見たら信じるから」。そのように反発したものでした。

それから何年か経ち、自分の友だちが盲腸の手術のため入院しました。一週間すれば元気に戻ってくると思っていました。ところが、退院する朝、トイレで倒れて、そのまま亡くなってしまいました。・・・・・

「この間まで生きていた人が死んだ」

大きな衝撃を受けました。人間死んだらどこへ行くんだろう。とても不安になりました。その時、姉が話していた、天国とか、救いとか、あの話を聞きたいと思ったときには姉はいませんでした。献身するために横浜の聖書学校にいたのです。教会へ行きたい、その時思いました。・・・・

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でも田舎なので近くに教会はありません。高校生になるのを待って五所川原福音キリスト教会を訪ねました。通っているうちに、自分に罪がないと思っていましたが、沢山ある!!!。心から知ることができました。私は今まで、何ということをしてきたのか、申し訳ない気持ちで神様の前に食いました。聖書のみことばにふれてから、10年の時を経て洗礼を受けることが出来ました。「一粒の麦」姉が先に多くの反対を受けていたので、私が洗礼を受ける時は、母からの何の反対も受けませんでした。4人の兄姉と共に、岩木川で洗礼を受け、川から上がってくるときには、抑えても

抑えても涙が溢れて出たことを今でも忘れることが出来ません。・・・

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話は変わりますが、私は余り書きたくないのですが、小さい頃からとても暗い家庭の中で育って来ました。6人兄弟の末っ子として育ち、経済的にはさほどの不自由はしませんでしたが、一番上の兄が、自分の能力以上の学校へ入り、やっとの思いで卒業し家に帰ったその日から、我が家は地獄と変わりました。日中は家庭内暴力、夜はバイオリンを真夜中まで弾くという生活が始まりました。既に進学していた上の兄と、嫁いでいた姉はこの苦しみに会うことは少なかった。両親と私たち三姉妹が大きな苦しみを味わうことになりました。私たち三姉妹は早く学校を卒業してこの家から出て行こう!!。そしてこの長男を心から憎んでいました。その苦しみの中で二番目の姉が、一枚のトラクトを通して教会に導かれました。暗い我が家にもキリストの福音が訪れたのです。罪がないから、神様を信じないと言っていたこの私も救われました。心から憎んでいた兄をも救いの恵の中で、感謝して受け止める者と変えられました。

『苦しみに会うことは良いことです

それによって、私はあなたの

おきてを、知ることが出来ました」詩篇119篇71節

2008年秋記す。三浦ちえ子。

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追記:2021年9月27日。その後私とちえ子は「北秋田恩寵教会」を立ち上げました。そして、驚くべきことに、教会の初穂(最初の受洗者が、誰あろう、妻ちえ子がかつて憎んでいた兄でした。彼は、老齢にもかかわらず遠く青森の地から、軽トラックを運転して教会を訪ねてきました。

『洗礼を受けますか?』私の問いに、コックリうなづきました。教理問答は必要なかった。兄は若い頃から、キリスト教の通信教育の課程を学んでいたことを知らされていたからです。こうして、あの暴れん坊が、我が教会の最初の受洗者となったのでした。『主の御名はほむべきかな』・