イミタチオ・クリスティ

村の小さな教会

10月6日(水):聖餐を尊重した人々

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人の世にはいろいろの儀式や式典がありますが、聖餐ほど深い豊かな内容をもった礼典は他に在るでしょうか。ですから代々のすぐれたキリスト者たちはこの聖礼典を尊重し、深い感謝と喜びを以てそれにあずかりました。二三の例を挙げますならば、中世最大の神学者と言われるトマス・アクィナスは、1260年ごろ「コルプス・クリステイ」という聖餐記念日が定められた時、この聖礼典に秘められた無限の恵に感動して、数編の賛美歌を作りました。Lauda Sion Salvatorem はその代表作であり、賛美歌204番は、その意訳です。

われらが驚き そのあがむるみわざ

世に多けれど

神の子みずから いのちを賜いし

愛にしかめや

 

貴き主イエスは うたげを開きて

 

われらを迎え

いのちのもとなる まことのみ糧を

わかせたもう

 

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これは不朽の名歌として今尚世界の教会で歌い継がれています。

さらにフランスの思想家パスカルの地上での最後の願いは、聖餐を受けることでした。彼の病室に司祭が聖餐を携えて入って来た時、それまで昏睡状態に陥っていたパスカルは意識を回復し、ベッドの上に上半身を起こしました。そして、司祭の授ける聖餐を涙を流さんばかりの感動をもって拝受し、「主よ、我を見捨て給うことなかれ」と言って、息を引き取りました。・・・・・・

もう一人の日本人キリスト者で聖餐を特に尊重した人の例を付け加えたいと思います。それは元慶応義塾塾長小泉信三博士です。博士は経済学と社会学とを専攻し、教養の広い随筆家としても知られ、戦後皇太子の教育係としてお勤めになりました。大事二次大戦によって、愛息を失い、国家と人間との興亡に深く心を動かされ、近親の人が聖公会の会員であったことから、信仰を求めて、東京芝の聖アンデレ教会で洗礼をお受けになりました。聖公会では毎主日ごとに聖餐を行っていますが、博士は毎週それにあずかり、どうしても出られない時には電話をかけて断られました。礼拝の態度はまことに立派で、式文中、会衆の唱える箇所は明確に大声で唱え、そのため礼拝を共にした会衆はみなひとしく敬虔の念に打たれたとのことであります。・・・・・・・

これらはわずかな実例にすぎませんが、同様な感動をもって聖餐にあずかった人は古来どれだけあったか知れません。心から感謝と喜びを以て聖餐ににあずかるようになるとき、キリスト教の信仰はその人の身についたということができるでしょう。(1970年。由木 康牧師説教集より)

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